って思っていました。

なぜなら、


草はうざいし、
食べられるわけでもないから。

(もちろん、食べられるやつもあるし、それが健康にいいことも

知っている、しかし、知っていることとそれを実践することは

また別の話)
 

でも

草の代わりに野菜が生えてきたならどうだろう。

うざい気持ちにはならないし、

むしろ、

無料で食料が食べられるから
 
嬉しい気持ちになるはずだ。
 
 

そういう風に思いながら、アスファルトの草や

畑に生えてきた草を眺めていた。
 
 

願いが通じたのか、

畑に勝手に野菜が生えてくるようになった。

じゃがいも、にんじん、ズッキーニ、
トマト、パクチー、きゅうり、にんにく
かぼちゃ。
 

おお、嬉しい!すげー!

なんか知らんけど、雪の中に埋もれいたり

雨に降られたりしながらもタネは腐らずに

生きていたんだ、
 
 

と思うとなおさら感動した。

食べ物の生命力に
 
ただただ頭がさがるばかりである。

 

けれど、時間が経つうちに、

 

徐々に
その感動が薄れていることに気づく。
 
 

さつまいもの生育に邪魔になるから。
 
 

結局、
 
野菜が生えてこようが、

草が生えてこようが、
 

邪魔なものは
 
全部「草」に分類されるのだ。
 

いざ、願いが叶ってみると、
 

自分が想像していた正反対の

感情が湧き出てくるのであった。

 

自分の都合のいいことに

感動して、

都合の悪いことは「草」に分類して、
 

よく観ようとせず、

敵対心を抱き始める。

 

それがたとえ、
 

何かの役に立つものであっても、
 

役に立たないと判断する。
 

そして、
 
 

この世は分断されバラバラになる。

 
 

ガビーん。
 
 

おしまい。