1976年に出版された「栽培植物の世界 中尾佐助(著)」
という本を読んだので感想を。
 
私たちは、野菜を食べ物として見ることが多い。
私も食べ物として見ている。


 
 
 
 

畑→食卓
 
へのルートを誰でも知ることができ、
農産物に写っている顔写真を見て
「あぁ、この人が栽培している野菜なんだな」
と畑へ関心を寄せることも多くなった。
 
別に悪いことではない。
 
ただ、少し不満を感じることがある。
 
こだわりの栽培方法や
美味しく食べるためのコツ、
などなど、生産者が消費者にアピール
することばかりに氣をとられ、
 
肝心の野菜自身に目を向ける機会が
少なくなっているように思えるからである。
 
野菜自身に目を向けるというのは、
消費者と話をするように
野菜と話をするということである。
 
しかし、野菜は話してくれない。
 
だから、
 
人間同士の当たり前の会話
 
「出身地はどこなのか?」
「好きな食べ物は何?」
「何を願っているの?」
 
とか聞いても答えは帰ってこない。
 
こういう時に役にたつのが読書である。
 
私の代わりに
 
「出身地はどこなのか?」
「好きな食べ物は何?」
「何を願っているの?」
 
を調査してくれ、その結果を
言葉にして書いてくれている。
 
なんとありがたい話だろうか。
 
そこで、まず大切になるのが
 
野菜を食べ物として見る視点から
 
野菜を文化財として見る視点への転換である。
 
食べ物を目の前にするとよだれを垂らして
どうしようもなくなる人でも
 
これは貴重な文化財なんだ!
 
と思えばやすやすと自分の胃袋に入れる
ことは難しくなるだろう。
 
とはいえ、
 
食べることも立派な文化の一つである。
 
重要なのは視点を自由に動かせること
だと思っている。
 
野菜をみて、

時には 
食べ物として
 
時には
文化財として
 
自由に観ることができれば
楽しいと私は感じている。
 
なので、
 
私は、この本を読んだ。
 

 
本書の内容から少しそれるが
昔に刊行された本は、
文字がボコボコしているから好きだ。 
 
印刷の仕様によるものと思うが、
今の本からは感じられない
文字を触るとボコボコ感を味わえる。
 
なんだろう。
このぼこぼこ。
 
あとがきにも面白いことが書かれてあった。

私は、本を書くこと恥をかくことだと思っている。
まちがいがどうしてもまぎれ込むし、認識不足や
足らないところが出ててくるものだ。

こういう意味で他の書を見ると、
欠陥はずいぶんあるのが常だ。
しかし欠陥をおそれ、完全無欠を
追求すれば、それはもう、ものをいうことをやめるほかあるまい。

どうせ学問と知識の世界は、はじめからなんらかの意味で誤りの
あるものを積みあげ、修正につぐ、修正を重ねて、だんだん良いものに
仕上げてきた歴史の上に成り立っているのだ。

私は、学者は自分の前説を自分でどんどん更新していくのが
使命だと思っている。
それができない人は停止してしまった人
というべきだろう。-(あとがきより引用)

 
 
おしまい。

 

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