愛媛県大三島。
ここに伝説のさつまいも人間が芋地蔵に
なっていらっしゃいます。さつまいもラヴァーとしては
絶対に訪問すべき場所なので訪問してきました。

実在する方が芋地蔵になりました。
名前は、
「下見吉十郎(あさみきちじゅうろう)
 1673~1755」

・なぜお地蔵さんに変身したのか?

その昔(1711年頃)、 飢饉が頻繁に発生してみんながお腹ペコペコ
だった。下見さんは、 薩摩国(今でいう、鹿児島県あたり)を旅していた時、 さつまいものポテンシャル(痩せた土地でも栽培できる等) にびっくり仰天。大三島に持って栽培したいけれど、
当時の薩摩藩は、芋の持ち出しを固く禁じていた。
けれども、どうしても持って帰りたい。
大三島にさつまいもがやってくれば
たくさんの人が飢饉から救われる。
その思いで、本当にこっそり、
こっそりというか、当時からすると命がけで
種芋を大三島に持って帰った。
「公益を図るがために国禁を破るが如きは決して怖るゝに足らず」
栽培は近隣の島々へと広がっていった。
1732年享保の大飢饉の時も、伊予国では数千人の餓死者を出すも
瀬戸内の島々では、餓死者を出すことなく
飢饉を乗り越える。さつまいものおかげで。
下見さんが命がけでさつまいもを持って帰って
くれなかったら、
たくさんの人が死んでいただろう。
さつまいもでたくさんの命が救われた一方、
同じ享保の飢饉時、
「農は国の本である。
種は農の本である。 わずかの日生きる自分が食べてしまってどうして来年の種ができるか。 身を犠牲にして幾百人かの命を救うことができたら、私の本望である。」
と言い残して亡くなった方もいる。
作兵衛さんである。
作兵衛さんの残した種で翌年から
麦の栽培ができた。
複雑な心境になった。
何はともあれ、芋地蔵さんに
今のさつまいも(今回は、鳴門金時)を持っていって
見せびらかした。
本当はお供えしたかったけれど、野生動物の餌になるから
一瞬だけそなえてお家に持って帰って
焼き芋にして食べた。
芋地蔵さんありがとうございました。
僕はこれからも美味しく芋を食べてゆきます。
今大三島でさつまいもを栽培している農家さんは
いない。ほとんどが自家用。みかんを主に栽培している。
ずっと昔から引き継がれていた芋があれば
それはそれで面白いと思ったのだが、なさそう。
おしまい。