今回は、年一回の報告、
ノンシャン生活のリアルをお話しします。

シャンプーをやめたきっかけをまずは
お話しします。
次に、リスクについてのお話し。
最後に感想。

という流れでこの投稿を進めて参ります。

きっかけ

私は、2015年11月からシャンプーを使わない
ようにしました。

理由は、本当に本当に

びっくりするくらいシャンプーを買いに
行くのが面倒くさかったからです。

かつての私はシャンプーを買うとき、

種類がありすぎてどれが

いいのかさっぱりわかりません。

女性用と男性用とでは何が違うのか

女性ウケのいい香りはどれがいいのか、

色々悩むべきポイントがあったわけです。

でも、悩むくらいなら

使わなくてもいいか

と思って今に至ります。

人は悩みたいから悩むのです。

悩む対象を手放せば悩みは消えます。

シャンプーを手放すことのリスク

何か新しいことを始めるとき
または
今までやってきたことを手放すとき

どちらにもリスクがあります。
そして、それぞれにメリットデメリット
があります。

私は、2015年(24歳)の時、
シャンプーを手放しました。

それは同時に、

24歳から今まで(28歳)シャンプー
を使っていたら
得ていたかもしれないメリット

も同時に手放したことになります。

でもなんのメリットを手放したのか
知ることはできません。

誰もがご存じの通り
人生は一度きりです。

何かを試した時

何かを試さなかった時

に得たものを
同時に知りうることはできません。

例えば、

好きな人に告白する
という行動をとった時

は同時に

好きな人に告白しない
という行動をとっていることになります。

好きな人に告白すれば
美ら海水族館でデートを楽しむ

という報酬を得たかもしれませんが

美ら海水族館に行っている間、
泥棒に入られて
冷蔵庫の中のプリンが消えていた
 
という
損害を受けていたかもしれません。

好きな人に告白しなければ
お家でお留守番していたので
冷蔵庫のプリンは
なくなることはありません。

でも、
美ら海水族館デートを
楽しむメリットはなくなります。

このように、

何かをやる(やった)時
何かをやらない(やらなかった)時

というのは、

どちらにも
メリットデメリットがあるのです。

では、
人が何かをやろうとする
*何かをやるというのは、
新しいことをやり始める,今までやってきたこと
をやめることをやり始める*)時、

何を基準に決めているのか

といえば、
デメリットより
メリットの方が多くあると見積もった時です。

未来は誰にもわかりません。

24歳の時の私が
28歳のノンしゃん真鍋が
どうなっているのか予想なんてできる
はずがありません。

シャンプーを使い続けた方が
美ら海水族館にたくさん行けていた
かもしれません。

でもわかりようがありません。

それを知るすべは、
どこにもないのです。

メリットデメリットは
予測できそうでできないのです。

美ら海水族館デートができる
と予測していても
相手が水族館嫌いだったら終わりです 😎 

ですから、
メリットデメリットを予測することは
本当に難しい。 

少なくとも救いになるのが
人類の蓄積されたデータを
参考にできることです。

人間は科学という学問を
持っています。

科学とは、データを集める
ことから始まります。

つまり、実際に起きたこと
行ったことを記録に残し、

〇〇をすればBという結果が
得られやすい
△△をすればCという結果が
得られやすい、

まぁ絶対ではないけどね 😕  

というのが科学のスタンスです。

ですから、

シャンプーを使ったら
どうなるのか
シャンプーを使わなかったら
どうなるのか、

は、

実際に試した人から話を聞いたり
本を読んだりして

「なるほど、シャンプーを使う
使わなければD,D`という結果が
得られるかもしれないのか」

とある程度予測できます。

そして、D, D’という結果に対して

メリットデメリットを決めるのは
 
自分自身です。

私にとってDという結果がメリットに見えても
誰かにとってDという結果はデメリット
写っているということです。

シェイクスピアも

「良いものとか、悪いものとかは
存在しないので、考え方次第なのだ」
(ハムレットより)

二千年前、ギリシャの哲学者エピクロスも、

 人は『物事によってではなく、
それらについての

 自らの考え方によって』
 悩み苦しむのである

と言っています。

では、一体どうすれば
やるにせよやめるにせよの
一歩を行動にうつせるのでしょうか

一つ視点を落として人間の煩悩レベルの
欲求についてみてゆきます。

人が嬉しくなる時というのは、

そうです、望みが叶った時です。

食べたい〜→食べた
寝たい〜→ねた

この欲求を満たした時、
とても嬉しくなります。

人の役に立つというのは、
人の〜たいを叶えている

ということです。

他人が
美味しい野菜が食べたい
と思った時、
私が美味しい野菜を
提供すれば
それは人の役にたった
(他人の願望が叶った)ということです。

このように、
人の欲求を叶えてゆくと
自分も嬉しくなります。

もちろん、
告白すると振られる可能性もあります。

けれどそれは、

相手が振りたいから振った

のです。

相手の振りたいという願いを
叶えたことになります。

振りたいという願望を叶えた
あなたはすごいのです。

つまり、
役にたったということです。

告白するのにも勇氣がいりますが
それと同様、
フルのにも勇氣がいることなのです。

「好き」と言われて嫌に
感じること人は滅多にいません。

少なくとも嬉しいと思うのです。

そんな中、振るのは本当に
勇氣のいることです。

振られる方も役に立ったとはいえ
やはり悲しくなったりします… 🙁 

ということは、

・告白する
というのは、
フラれようがフラれまいが、
 
相手に告白するという行動が
すでに、他人の願望を叶えている
ということになります。

・告白しない
というのは、そこに相手が存在しません。
つまり満たせる欲求というのは、
自分の振られて傷つくのが怖い
という本音を達成できていることだけです。

整理すると、

告白する
・相手の欲求叶える側面あり
告白しない
・自分の欲求しか叶えられない

ということです。

先ほどから申し上げている通り
告白するしない結果をみて
どっちがいいの判断は人次第です。

シャンプーを使う使わないに
人間の根本欲求を
当てはめてみます。

シャンプーをやめたい自分
シャンプーを続けたい自分

両方存在します。

ということは、どちらを選んでも

したい自分を叶えています。

つまり、

どっちでもいい

のです。

でも、どっちでもいいのに
なんかモヤモヤしている
時というのは、

入り込む必要のない他人の目線が
 
氣になっているからです。

シャンプーをやめたら臭くなって
嫌われるのではないか
不潔がられるのではないか
誘ったデートを
「シャンプーを使っていない人は無理」
と言って断られるのではないか、
会社の同僚からバカにされるのではないか
などなど、

他人の目線を通して自分の本当の欲求を
みているのです。

でもシャンプーを使うか使わないか
は告白するしないのような
相手が存在する問題ではなく
自分一人の問題です。

4年間いろんな方にお会いしてきましたが
 
先ほど申し上げた不安は
 
杞憂でしかなかったと申し上げておきます。

そもそも、

シャンプーを使っているから偉い
シャンプーを使っていないから偉い

ということではないのです。

それらは全て、自分の存在価値を決める
副次的な要素でしかありません。

俺はこのシャンプーを使っているから
すごいんだ!

とい奴がいたらおかしいでしょう。

俺はシャンプーを使っていないから
すごいんだ!

という奴がいたらおかしいでしょう。

シャンプーを使っていようが
使っていまいが、

どっちでも
自分はすごいし
あなたもすごいのです。 

そして、もしかしたら

本当に恐れているのは

他人からの目線ではなく、

「後悔」

なのかもしれません。

そもそもなぜ後悔するのかといえば、

あの選択をしていれば(していなけれぼ)
 
今、の方が良かったのに

と思っているからです。

そして、後悔している間は、
モジモジして
いつまででも過去について思い悩み
今するべき行動がとれない

タイムロスをすることになります。

あの時シャンプーをやめなければ、
今より髪の毛がフサフサ
だったのかもしれない、

あの時シャンプーをやめていれば
今より髪の毛がフサフサ
だったのかもしれない、

とモジモジしてしまうのです。

でも、

今の方が良かった
(今より髪の毛がフサフサ)

というのは幻想にすぎません。

美ら海水族館に行っている間に
泥棒に入られた人の話を思い出して
ください。

告白した→良い
デートなう→良い
プリン行方不明→悪い

告白しなければ良かった

と思っていることでしょう。

でも、そのあと、

恋人がケーキを買ってきてくれた→良い

というサプライズが起きれば

プリン行方不明なんて
どうでもよくなります。

つまり、
最終的に何が起こるかで
後悔事案なのかそうでないのか決めているのです。

そして、「最終的」というのは、

」デス。

でも、
いつ死ぬのか予想することはできません。

私は、今死んだら正直、後悔します(笑)
後悔というか、
もっとさつまいも栽培したかったし
美味しい食べ物食べたかったし….
したいけれどできない
という先悔をいう言い方の方がしっくりくるかも
しれません。

ただ少なくともシャンプーをやめたことを
後悔しながら死ぬことはないです。

では、後悔をなくすには、どうすれば
いいのでしょうか。

常に、私の選択はベストである

と決めるしかありません。

だって未来はわからないのです。
今、おきている出来事は、
自分の都合のいいように解釈しておけばいいのです。

シャンプーを1460日(丸四年)やめた、
男のゆく末

では、これから先、
私の髪の毛はどうなるのでしょう。

先ほども申し上げた通り、

どうなるかわからない、

です。別に髪の毛ハゲても
(少し悲しいですが)

それは、シャンプーを使っていても
そうなったかもしれない
可能性を含んでいます。

シャンプーを使い続けているからといって
髪の毛がなくなるとも限らないし
髪の毛が増えるとも限りません。

シャンプーをやめたからといって
髪の影増えるとも限りませんし
なくなるとも限りません。

結局どちらでもいいのです。

で、別にシャンプーやめるくらいなら
やめた後でももう一回、

やり直せます。

やっぱりシャンプーがいいな

と思ったら再開すればいいだけの
話です。

最後に一言だけ申し上げてお別れしたいと
思います。

シャンプーをやめてすごく良かった
ことがあります。

それは、お風呂掃除が楽になった
ことです。

多分、シャンプーの成分には
カビのエサとなるものが含まれている
と思うのです。

だから、汚れも頑固になってゆく。

キッチンの汚れがひどいのは
油を使っているから。

油を使わなければ、掃除も楽です。

それと同じで、

シャンプーを使わなければ、

湯と自分の汗とでしか合成されない
汚れしか生み出せないのだと思います。

だから、へぼい汚れで済むのです。

あくまで勝手な推論です。

掃除洗剤も使わず、
スポンジでこすればお風呂の汚れは
綺麗になります。

掃除が苦手な私にとって
これは大きなメリットになりました

以上です。最後まで

お付き合いいただきありがとうございました。

追記:
下記、ノンしゃんにあたり参考にした本です。
==参考文献==
シャンプーをやめると、髪が増える
 抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ”が原因だった! (角川書店単行本) 
宇津木 龍一 
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