私が農業に興味を持ったきっかけ

今回は、タイトルの通り
「私が農業に興味を持ったきっかけ」
について書きたいと思います。
大きく回り道をしたくない方のために
100字程度で簡単にきっかけを話すと次の通りとなります。

『奇跡のリンゴという本の中の
害虫も益虫もない。人間目線でみるから害も益もある。
人間にとって害であっても
自然のサイクルからみれば何かしらの役目を果たしている
という言葉に感銘を受けたからである。』

(ちなみにこの先読み続けますと
8000文字近くあります。)

研修期間も終わり、2018年春から土地を借り独立して
「まなべ農園」を運営し始めました。

まなべです

農業という職業柄なのか
多くの方に

「なぜ農業を?」

という質問をいただきます。

興味を持ってくださるのはとても
嬉しいことであります。
好奇心旺盛な私にとっては
全ての人に「なぜ今の仕事を?」
と質問したくなります。

となれば、私が質問するよりも先に
自分自身が農業に興味を持ったきっかけ
を話すのが筋ではないか
と考えこの投稿するに至りました。

きっかと言いますのは
例えば、
膝を擦りむいた傷をみて

「どうしたの?」

と友人が質問してくれた際

「あの石ころにつまずいた」

と答えることができるような類のものかもしれません。

あの石ころのせいで私は膝を擦りむいた
と原因が特定できます。

ですが、仕事や人間関係など
壮大な人生にまつわる話となりますと

「あの石ころ」

という原因を特定するのは難しいと感じます。

ですから、
私が農業に興味を持ったきっかけを
これから話す上で

「あの石ころ」

のような分かり易いきっかけをお伝えできればいいと
思ったのですが、不可能であると結論づけました。

すらっと一文で「これだ!」
というものを指し示すことができれば読者の皆様の
目の疲労の負担を減らすことができますし
余計な時間を費やす必要がないので
カッコよく決めたいところでありました。

今回はそのようなカッコよさとはかけ離れている
文章でありますこと、はじめにお伝え申しておきます。

例えるなら
私がオリンピックの聖火ランナーとして
走っている時、石ころでつまずき、
手に持っていた聖火が偶然にも、
これからバーベキューを始めようとしていた
炭に当たった。
そんなことは気に留めず
私はすぐに立ち上がりゴールを目指して再走します。

聖火台に火が灯りオリンピックが開催され
無事、私の任務は完了したのですが、
どうも、気になることがあるのです。
途中でつまずいた先の”炭”のことです。

「もしかしたら、あの炭に聖火着火されてた?」

だとするならば、自分の目で確認せねばなりません。

ですが、懸命に走っていたので
どこでつまずいたのか分かりません。
もしかしたら、炭に着火していたのかもしれないし
していなかったかもしれない。

結局のところ分からず仕舞いなのです。
ですが、つまずいたことは確かで
その炭に聖火が当たったのは確実です。

私の予想では、僅かながら着火していた
と思うのです。

これから述べることはその
”着火していたかもしれない炭”
のことであります。

もしかするとその炭が私の農業に対するきっかけ
に当たるものなのかも知れません。

その炭で美味しい肉や野菜が焼けるのか
は分かりませんが、
私の予想では美味しい肉と野菜が焼ける炭火である
と信じております。

それでは
炭を探す旅に出掛けます。

キーワードは
「寂しさ」「ブッダ」
になるかと思います。

大きく回り道をすることになりますが、
2013年に訪れたインドでのエピソードを
書くことをお許しください。

****************
ー2013年8月24日ー

私はインドに一人旅をしに行きました。
一人旅というのはとてもかっこいい響きである
と当時は思っていました。

一人でできるんだぜ!

と見栄を張っていたのかもしれません。
本当のところは、

恋人にフラれたので、身を清めるため
ガンジス川に行く必要がある

と思っていたからでした。
ちなみに、
インドに行ったところで何も解決はしません。
(笑)

自分探しの旅や傷心旅行などするより
もすべきことがあったのですが
当時の私は

ガンジス川が全てを解決してくれる

と思っていたのです。

要は、典型的な
自分探しの旅、傷心旅行に出掛けました。

同時に、あることを試しました。
当時の日記を振り返るとこう書いてあります。

”今回、僕が注目したのは本当に自分で行きたいのか
それとも他人の承認のために行くのか。
例えば他人に「俺、インド行ってくるわ!」
と宣言したからのインドなのか、それとも
誰にも言わずになのか。”

旅行というのはとても楽しいものです。
出発前にいろんな人に
ここ行ってくる!というのは楽しいことでありました。
旅行に限らず、寿司食べてくるや
パンケーキ食べてくる!などと言うように
事前に自分がしたいことを人に言うのは
楽しいことです。

ですが、

「ちょっと待てよ。それって結局、
自慢したいだけちゃん?」

と自分に聞いてみたのです。

すると、
じゃあ試せばいい
となったわけです。

ですので今回、インド行く前に行くことを告げたのは
超僅かな人に限りました。

それと、
カメラ、携帯電話、を持って行きませんでした。
記録媒体を持っていかなかったのです。
映像は私の頭の中に残っているのみです。

記録媒体は日記だけです。
この記事を書くにあたり、何年かぶりに読み返しました。
すごくいいこと書いてるやん!
と自画自賛しましたこと正直に申し上げます。

旅行から日本に帰っても何も見せるものがない
状況を作り出しました。
あとは、当時フェイスブックもしていましたが
退会の手続きもしました。
SNS要らん!!
と自暴自棄になっていたこともあるでしょう。

と準備が完了したところで
ニューデリー行きの飛行機に乗り込みました。

これが本当の一人旅かも!
と何とも言えぬ高揚感とやら
不安とやらを抱えていたのでありました。

結局、この旅では、

「一人旅はひとりじゃない」

とそんなの当たり前じゃんと言われそうなことを
気づいたのでありました。

ー2013年8月26日ー

旅の序盤。
ここで死ぬとしたら交通事故でやな。
と思っていました。
すごい車の量で道を横断するにも
センスが問われる場所です。

なぜ現地のインド人はスイスイと
横断できているのか不思議でした。

目的地はガンジス川。
それを忘れてはなりません。
ですが早々に所持金の8割近くを失う事態が
発生します。

ここでは詳細を省きますが、
旅の序盤に所持金の8割を失うというのは
大変苦しいことでありました。

詳細を省きますがと申し上げた矢先ですが
ここを省くと重要なキーワードである

「寂しさ」

を説明できなくなる恐れがあるので
省かないことにしました。

着いて早々、私はなかなかのお金を
ぼられたわけです。
カツアゲにあったわけです。
(小学5年生以来の出来事)

お金を出すのが嫌であれば断ればよかったのです。
ですが
嫌われるのが嫌だったのでしょうか?

それまでに何度も海外に出かけていましたが
結構な割合で騙されていました。

その時のエピソードは別に譲るとして、
大切なことは、

「僕は誰からも好かれようとしていた」

もしかしたら今でもそうかもしれません。

よく分からないホテルに泊まり、
よく分からない男と一緒によく分からない車に乗って
よく分からないお土産店を案内され
最後には、

よく分からない男にお金を巻き上げられました。
もちろん、断ることもできたでしょう。
でも私は、断ることができませんでした。

ここで断ると嫌われるかもしれない。

ありったけの金を出せと言われました。
流石にありったけのお金は出せませんでした。
日本円で4万円くらい出したと思います。

旅の始まりにして私の財産の8割近くが失われました。

よく分からない男は、初めに名刺をくれました。
ですが、最後の最後で

「名刺返せ」

と言われ、私はカバンの奥底にある
名刺を返しました。
(悪事を働いている自覚があるから
名刺を返品させたのでしょう。名前がバレるとまずい)

私は、これで勘弁してくれと言わんばかりに

ok, ok, thank you thank you
(全然ありがとうじゃないし、オーケーじゃないし
この期に及んで自分でも何を言っているのだろう)

と別れの挨拶をし駅のホームに行きました。
名刺がないのでカツアゲ男の名前は分かりません。
ですから、よく分からない男なのです。

バラナシ【(ガンジス川のある街、Varanasi。ちなみに
ガンジス川はGaṅgā(ガンガ)と呼ばれることの方が多かった
と記憶している)】

行きの列車に乗るため駅のホームに来ていたのでありますが
まだ付いて来ているのではないか?
こいつらはグル。きっとどこかで見張っているに違いない。

私は怖くて怖くて早く電車に乗りたかったのです。

やっと、バラナシ行きの電車が到着しました。
そうだ、私はガンジス川に入る為にここへきたのだ。
そう自分を奮い立たせ電車に乗りました。

もう、奴の顔を見なくていいという

安心感。

と同時に、
なんとも言えない感情が湧き上がって来ました。
それは、

寂しさ

です。
謎の男に連れ回された経験をだれかに話したい。

でも、誰とも話せない。

携帯もない。

これほど寂しいことはありませんでした。

フェイスブックも2011年夏から始めていましたが
出発する前に全てをやめたくて、退会の手続きを取っていました。

確か当時は、退会の手続きをして2週間再ログインしないと
正式に退会出来ない仕様だったと記憶しています。
インドにいっている間がちょうど2週間なので
ちょうどいいと思って退会の手続きをしたのです。

フェイスブックを始めるきっかけを作ってくれた
みなさんは今頃どうしているだろうか。
元気だろうか。

“やられました。
序盤早々、ずっこけてます笑”

と呟きたい。
ですが、何も通信手段がない私には

笑い合うこともできなければ
この悲しさを共有することもできなかったのです。

それが何より辛かったのです。
そこで気付きました。

そうか

ひとり旅は独りじゃないんだ。

と。

きっと誰かのことを思っているし、
だれかに伝えたいし、

わかる!
という共感を得たい。

 

僕は独りでは生きていけない
なぁ

と感じていました。

そのような精神状態でしたので
バラナシ行きの列車の中でこっそりと
泣いていました。

ー2013年8月27日ー

いよいよ目的地であるガンガ(ガンジス川)に到着しました。
ここで身を清めれば全てが流される。

このガンガが全てを変えてくれる。
いざ!!

入水して早々、
肩には銃をぶらさげ
手には竹刀を
装備した警察官がやってきました。

「ここから早く出ろ!!バシッ!バシッ!!」

と近くにあった自転車のサドルを
竹刀でしばきあげていました。

どうやら、その年の夏は豪雨のため
ガンジス川の水位が例年より高く
入水禁止になっていた模様です。

確かにガンガ近くの家が水没していました。

あぁ、せっかく入ったのに
これでは身を清められないと残念な気持ちでありました。

当時の日記にはこう書いています。
(下記、“”内の言葉は私の日記に
書かれていた言葉である。)

“入水していたらポリスマンがきた。
クソ怖かったけど、むちゃ面白かった。”

笑ってられるほどの余裕はなかったはずですが
まぁ、笑っていたのでしょう。

バラナシには多くの日本人観光客も見えます。
私の情報収集手段は現地で人に聞く
ことでありました。
オススメの観光場所はどこか
面白い場所はどこか
と聞いていました。

今では、
自分の行くところが面白い
と思えるようになりましたが

当時はまだ外部状況に頼るしかなかったようです。

集めた情報によれば近くにブッダが悟りをひらいた
場所があるようでした。

ブッダガヤ

という街です。

(振り返れば、
きっとこの街を訪れていなかったら
あの本に出会うこともなかっただろうし、
つまりは、
私が農業にそれほどまで興味を持たなかった
かも知れない。

というくらい重要な街です。)

よし!
明日朝、もう一度ガンガに入ってリベンジして
旅の最終目的地を
ブッダガヤにすると決めました。

改めて確認いたしますが
この投稿は私の当時の旅日記を披露しているのでは
ありません。

農業に興味をもったきっかけを書いています。
念の為、忘れないように書き記しておきます。

ー2013年8月28日ー

”今日は朝からガンガに沐浴しに行った。
気持ちよかった。美味いパン屋を見つけた。”

あれ程、ガンガに入ることを目的としていながら
実際の感想が

気持ちよかった。

の一言である。

美味しいパン屋を見つけただと?
すぐ食欲を満たすことを考える煩悩。
ガンガでは身を清めることはなかったようだ。

いくら聖なる河とはいえ
ほんの数十分の沐浴で
全てが清まると思ったら大間違いだ。

沐浴とカッコよく書いているけれど、
実際のところは、
ガンガで遊んでいた現地人に混じり
一緒にはしゃいだだけだった。

何しにインドに行ったんだ。

ー2013年8月31日ー

そして、私は

旅の最終目的地、
ブッダが悟りをひらいた街
ブッダガヤ(Buddha-gayā)に到着した。

この街の見所はもちろん、

菩提樹

である。
釈迦が悟りを得た仏教最大の聖地。
この木の下でお釈迦さまは悟りをひらいたのである。

ここへ来たのなら100%見るべきであろう。
長野県から山梨県へ入ると必ず富士山が
視界に入ってしまうように、

ブッダガヤの街を菩提樹なしでは語ることはできない。
サンタクロースのいないクリスマスなどないのだ。

けれども、
・・・
・・・
・・・
私の記憶に菩提樹は残っていない。

もう一度申し上げます。
ブッダガヤにおいて菩提樹を見ましたか?

の質問に答えるとすれば、
「記憶にございません」
である。

ちなみに、
菩提樹はハーボーディー寺院という敷地内にある。

その寺院へは行った覚えがある。

何度でも繰り返そう。

改めて確認いたしますが
この投稿は私の当時の旅日記を披露しているのでは
ありません。

農業に興味をもったきっかけを書いています。
念の為、忘れないように書き記しておきます。

ー2013年9月6日ー

ブッダガヤでは約五日ほど過ごした。

一泊500円〜1000円(くらい?)の宿坊に
寝泊まりした。
水シャワーだし、時々停電する。

宿泊者は私一人しか居なかったと記憶している。

共有ルームには、名作漫画

手塚治虫氏の『ブッダ』
が全巻揃えられてあった。

もちろん、全巻読んだ。
今思うとすごく贅沢な読書だと思う。

ブッダが悟りをひらいた場所で
ブッダを読む。

これほど登場人物になりきれる
読書がどこにあるというのだろうか。

この街には、色々な国の寺院があり(詳細な説明は省きます)
もれなく、日本のお寺もあった。

その敷地内には図書館もあった。
図書館は最終日前日に行ったきりだが
行ってよかった。

ここに行かなければ
出会わない本があっただろうから。

奇跡のリンゴ
「絶対不可能」を覆した農家
木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)
 

という本である。

ここまで長々と文字を重ねて参りましたが、
炭にあたるのがこの本です。

もう少し詳しく述べれば、
この本のとある部分が心に残っています。
正確な原文からの引用ではありませんが、
私のここの中にはこのような形で残っています。

害虫も益虫もない。
自然のサイクルから見れば、害虫も何かしらの役割がある。
人間目線で物事を捉えているから
あるものが“害”になり
あるものが“益”になるのだ。

と。

確かに野菜の葉っぱを食べる虫は
生産者にとって害に見えるかも知れません。

ですが、
害だからといって皆殺しにしてしまえば
その虫を餌にしていた鳥の食べ物が無くなります。

人間目線で害に見えても
鳥目線でみるとご馳走という益なのです。

私はこの考え方にとても惹かれました。
なんて素敵なんだろうと。

手塚治虫氏のブッダを読んでいたこともあり、
どこかブッダに通じるところがありそうだとも
と思っていました。

2013年のことですが、
この言葉というか考え方が
ずっと私の心の奥底で響き続けているのです。

大学卒業後(2015年春)は都内の和菓子屋で勤務していました。
和菓子というのは
和菓子に限らず、目の前の食べ物は全て

に通じています。
餡子にしても材料となる小豆は
畑からやってきます。

私は小豆がどこからやってきているのか
気になっていました。

食品の川上にあたる部分が
私の中での重要部分でありました。

この川上が汚れていると
川下も汚れてしまいます。

もちろん、ろ過されたりエントロピー的に
その汚れは薄まっていくのでしょうけれど、
川上は綺麗であることに越したことはないと
思うのです。

美味しい材料を次世代に伝えていくには
美味しい材料を生産する人がいなければ
なりません。

私は、食いしん坊です。
美味しいものが大好きです。
これからも

ずっと
ずっと

ずーっと

美味しいものを食べて
生きていきたいのです。

高級料亭の美食を食べたい、
三つ星レストランの豪華ディナーを
食べ続けたい
という訳ではなくて、

私の中で美味しいものと言えば

友達と一緒に囲む食卓の中の
家族と一緒に囲む食卓の中の
恋人と一緒に囲む食卓の中の

料理です。

もちろん一人で食べる料理も。

普段の生活の中で食べられる
あたり前の料理。

これこそが美味しいと
感じます。

もちろん、高級料亭の料理も
三つ星レストランのディナーも
美味しいです。

その中でも
私が大切にしたいのは

一人一人の中にある
あたり前の料理です。

100年後も
千年後も
今食べている
美味しいものを
食べていたいし

私だけじゃなくて
世界中の人々が
食べていた方がいいなぁ。

と。
そんな風に思っています。

だから、自分で生産しようと。
そうおもったのであります。

心にずっと響き続けている
あの言葉を
これからも
農というものを通して
実現させていきたいな
と考えています。

お釈迦様は煩悩全てを否定している訳ではない
と思います。
食べること、寝る事、性行為をする事は
全て煩悩ですが
これをなくせば、人は死んでしまします。

自分も
美味しいものを食べたい
という煩悩です。

この煩悩を私一人にとどめておくのではなくて
二人、三人、、、百人、、千人、、、
とたくさんが満たすことができる煩悩であれば
みんな幸せになれていい世界になるのではないか。

と思っています。

お釈迦様も悟りを自分一人の中にとどめたのではなく
それを伝えてたくさんの人を幸せに
(この表現が正しいのかはさておき)
したかったのではないでしょうか。

だから私も
美味しい野菜を生産して独り占めするのではなく
出荷し、
たくさんの人を笑顔にしたいと考えています。

食べる行為はそれこそ川上にあたります。
食べることでエネルギーをチャージし
仕事や娯楽や人生のあらゆる活動の
源となるのです。

皆様の元気の源が尽きることがないよう
美味しい野菜を生産していきます。

という訳で、
ブッダガヤでの日々は過ぎました。

この街では他にも
「瞑想体験〜お坊さんも寝坊する!」

「菩提樹で作った数珠を謎の人物からもらった話」
もあるのだけれど、
ここでは省略することにいたします。

ブッダガヤに訪れなければ
もしかしたら
農業へのきっかけは掴めていなかったのかも
しれません。

ここで灯った炭火で美味しいバーベキュー
ができるのか
それとも
途中で消えてしまうのか

未来のことは分かりません。

ですが、
これからも理想に向かって歩んでいきます。

さて、
そろそろ日本に帰る時間が迫ってきました。

最後の晩餐は
「ミートモモ」
です。

牛肉でつくった蒸し餃子
みたいなものです。

インドで牛肉を口にすることは
滅多にありませんでした。
貴重な肉です。

最後にしっかりと

煩悩を満たして

駅のホームへ向かいました。
どれだけ遅れてるねんというくらい
電車が遅延していました。

早く日本に帰ってたこ焼きを
食べたいのに。

私の日記はこう締めくくられています。

“そして、僕はコルカタ行きの列車にのった。
すごく待ちどおしかった。電車がくるのが、
こんなにもうれしいものだとは思わなかった”

***********

以上が、きっかけになります。

今はSNSを通じて遠く離れた人ともコミュニケーションを
取ることができます。

これはとてもありがたい時代だと思います。
フェイスブックに投稿すれば
「いいね!」「超いいね!」
がもらえ、共感してくれたんだ
とうれしい気持ちになります。

山の中で一人で畑作業をしていても
「ひとりじゃないな」
と思えます。

寂しがりやの私にとって
農業をするのに今の時代も背中を押してくれています。

ここまで読んでくれた方なら
きっと「いいね!」や「超いいね!」
を押してくださることでしょう。
私は、それがほしい。と
正直に申し上げてこの投稿を締めたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございます。