ずっと前からみたかった映画をみた。
『ハンナ・アーレント』
この映画を知ったのは烏賀陽さんの本
『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書)
で紹介されていたからだ。
「事実」か否かを見分ける重要な視点の一つにフェアネスチェックが挙げられる。


 
 
人間は(もちろん私もそう)、
物事を単純にして考えたがる。
考えたがるだけではなく、そのように
世界をみている。
 
例えば、仮面ライダーや戦隊シリーズのような
世界観を現実世界に応用して見ているということだ。
 
世の中には、”絶対的”な悪がいて
そいつを正義の味方が倒せばハッピーになれる
というストーリー。
 
でもこれは、仮面ライダーの世界の話であって、
我々が住む、現実世界の話ではない。
 
だから、一辺倒の見方でしか書いていない
記事は、現実離れしている、と思って
読んだようがいい。
 
 
とはいえ、現実離れした記事が読みたい
人が読むぶんには構わないと思う。
 
だって、現実をまじまじと見ることは
そんなに氣分が優れるものではないからだ(笑)
 
たくさん考えなきゃいけないし、
面倒臭いし、
どこかに正解があるわけじゃないし、
寂しくなるし。
 
 
 
 
「怪しい宗教かぁ」と僕はピザを皿から取り、
口に入れる。「僕は、真面目な大人たちが、
不気味な新興宗教にのめり込んで行くのが、理解できないよ」
 
そうかな、わたしはできるよ」と鳩麦さんはすぐに言った。
 
「え、どういう風に?」僕はまさか、鳩麦さんが
自信たっぷりに答えてくるとは思いもしなかったので、
少し驚いた。
 
毎日毎日、わたしたちって必死に生きてるけどさ、
どうしたら正しいかなんて分からないでしょ
 
「え、どういうこと?」
 
何をやったら、幸せになれるかなんて、
誰も分からない。そうでしょ
 
「うん、そうですね」南がうなずいた。
 
変な話、砂漠にぽんっと放り出されて、
『あとは自由に!』って言われたようなものじゃない
 
「自由に?」
 
そう。どうやって生きればいいか、なんて誰も教えてくれれない。
お好きなように、と指示されるのって、逆につらいと思うんだよね
 
「どういうこと」
 
 ・・・
伊坂幸太郎 『砂漠』より 
 
 
 
 
 
 
オーガニック業界の悪魔(絶対的な悪)といえば
モンサント社(もう無くなったけれど)だ。
 
私も昔は、
【モンサントはなんて酷い会社なんだ】
とおもっていた。
きっとこいつを倒せば、
世界の食事情や環境はよくなるのではないか
と考えていた。
 
けれど、それは違った。
 
 
そのあたりの詳しい話については、
カテゴリー「遺伝子組み換えについて」

を参照してくれればと思う。
 
 
さて、映画に話を戻そう。
 
=あらすじ=
彼女の名はハンナ・アーレント、
第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、
アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送した
ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。
アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、
ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その衝撃的な内容に世論は揺れる・・・。
「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、
世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、
アイヒマンの<悪の凡庸さ>を主張し続けたアーレント。
歴史にその名を刻み、波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化、
 
(Amazonより)
 
ニューヨーカーの読者が望んでいたのは、
アイヒマンがどれだけ酷い人間か、
というレポートであった。
 
あいつは極悪人、
という報告を読者は望んでいたと思う。
 
けれど、実際にアーレントが報告したのは、
 
『アイヒマンはどこにでもいる
 凡人である』
 
ということだ。
次の 映画のワンシーンを紹介したい。
このシーンは、裁判傍聴をしている時期に
仲間(友達?)とカフェで語り合っているシーンである。
 
ーーー
友達「アイヒマンが反ユダヤじゃない?」
アーレント「聞いたでしょ、彼は法律に従っただけ
 
友「党員でしかもSSだぞ、筋金入りの反ユダヤだ」
 
ア「でも自分では手を下していない」
 
友「奴の言い分だ」
 
ア「興味深くない?彼は殺人機関の命令を遂行したわ。
しかも自分の任務について熱心に語ってた。
でもユダヤ人に憎悪はないと主張しているの
 
友「うそだ!」
 
ア「うそじゃない」

友「奴が移送先を知らないとでも?」
 
ア「移送先など関心ないのよ。人を死へと送り込んだけど
責任はないと考えてる。貨車が発車したら任務終了」
 
友「奴によって移送された
人間に何が起きても無関係だと?」
 
ア「そう、彼は役人なのよ
 
友「今回ばかりは譲れん」
 
ア「想像を絶する残虐行為と彼の平凡さは
同列に語れないの
 
ーー引用終わりーー

 
最後のアーレントが授業で
語る内容も紹介しておく。
 
ー引用始めー
 
彼(アイヒマン)は、検察に反論しました。
何度も繰り返しね。
”自発的に行ったことは何もない”
”善悪を問わず自分の意思は介在しない”
“命令に従っただけなのだ”と。
 
こうした典型的なナチの弁解で分かります。
世界最大の悪はごく平凡な人間が行う悪です。
 
そんな人には動機もなく
信念も邪心も悪魔的な意図もない
人間であることを拒絶した者なのです。
 
そしてこの現象を私は、
 
“悪の凡庸さ”
 
と名づけました。
 
生徒質問「迫害されたのはユダヤ人ですが
アイヒマンの行為は“人類への犯罪”だと?」
 
ユダヤ人が人間だからです。
ナチは彼らを否定しました。
 
つまり彼らへの犯罪は
人類への犯罪なのです。
私はユダヤ人です。ご存じね。
私は攻撃されました。
ナチの擁護者で同胞を軽蔑してるってね。
 
何の根拠もありません。

これは誹謗中傷です。
アイヒマンの擁護などしていません
 
私は彼の平凡さと残虐行為を結びつけて
考えましたが
理解を試みるのと許しは別です。
 
この裁判について文書を書く者には、
理解する責任があるのです!
 
ー(引用終わり)ー

 
 
、、、
 
ふぅ。
 
そういえば、
合理的な神秘主義ー生きるための思想史ー
安冨歩(著)
の中でミルグラムという心理学者が紹介されている。
 

 
彼の行った、有名な実験は「アイヒマン実験」である。
この実験で明らかになったことは、
 
(引用始め)
たとえ日常的に道徳的に振る舞う人であっても、
ちょっとした圧力を権力から受けると、平気で
人を傷つける行為をしてしまう、ということであった。
 
しかし、私はそれ以上に、
同じ状況下においても、きっぱりと拒絶できる、
心の安定した「君子」が実在することを
実証した点に、より大きな意義を感じる
(引用終わり)
 
この詳しい実験の詳細は省く。
 
もし、自分が同じような実験に参加したとして、
 
いや、実験でなくとも、現実に似たような
ことが起きて自分が当事者だったとして、
 
君子のように振る舞えるのかは、正直なところ
自信がない。
 
自分の中にも小さな悪魔がいて、
きっとこいつとは一生付き合っていかねばならないの
だと思っている。
 
悪魔が顔を出した時、封じ込めることができるのだろうか。
私は、正直、そんな確信がもてない。

でも、きっと、私の中に君子もいるはずで、
その存在を信じて生きていたい。
 



 
みんな、正解を知りたいんだよ。正解じゃなくても、
せめて、ヒントを欲しがってる。だから、たとえば、
一戸建てを買う時のチェックポイント、とか、失敗しない子育て
の何か条、とか、これだけやれば問題ないですよ、っていう
指標に頼りたくなる」
 
「確かにそういう部分はあるよね」
 
「でも、人生全般にはそういうものってないでしょ。
チェックポイントとか、何か条とかはない。自由演技でしょ。
だから、誰かに、『この修行をすれば幸せになれますよ』とか
『これを我慢すれば、幸福になれますよ』とか言われると、
すごく楽な気分になると思うんだよね。どんなに苦しくて、
忍耐が必要でも、これをすれば幸福になれる、
っていう道しるべがあれば、やっぱり、楽だし。
だってさ、わたしたちって子供の頃から、
やることを決められてるわけじゃない。
生後何ヶ月健診とか、六歳で小学校へ、とか、
受験とか、考えなくても指示を出されるわけでしょ。
例年通りの段取り、とかさ。
不良少年が卒業式を迎える段取りだって、あると思う。
それがある時、急に、自由にどうぞ、って言われて愕然としちゃう」
 
「それが宗教ってこと?」
 
「そういう宗教もあるってこと」鳩麦さんがコップの水に
口をつける。「よく、怪しい宗教には、階級みたいなのがあるでしょ。
修行によって、どんどん偉くなる感じの。ああいうのは
本当によくできていると思う。これをやったら一つ階級が
上がって、上がっていくほど幸せになる、って言われたら、
やっぱり気分的には楽でしょう?」
 
「楽かな」
 
つらいけど、楽だよ何をすれば良いか分かっていて、
しかも、結果も見えるんだから。でも、結局、そういうのに
頼らず、『自由演技って言われたけど、どうすればいいんだろう』って
頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかないんだと、
私は思う」 
 
「鳩麦さん鋭い」南が感じ入った声をだす。
 
僕はそこで、ずっと前に西嶋が
「終わった後で身悶えするのが麻雀じゃないか。
確率だなんだと分析するのは、麻雀ではなくて、
ただの計算じゃないか」と主張していたのを思い出した。
確かに、生きていくのは計算やチェックポイントの
確認じゃなくて、悶えて、「分かんねえよ、どうなってんだよ」
と髪の毛をくしゃくしゃやりながら、
進んでいくことなのかもしれない。
 
ー伊坂幸太郎「砂漠」ー
そういえば、この小説を読んだのも
もう10年近く前か。
学生になって、嫌いだった小説でも読まねば、
というやる氣になって初めて
買った小説。
 
海外旅行するときもいつもこれを
持ち歩いていた。
結局10回近くは読み直している。
 
自分の中でこんなに読み返した小説は
後にも先にもないと思うけれど
(でもまだ分からない)
すごく好きな小説の一つ。
 
 

 

=まなべ農園 真鍋和孝=

そもそも科学的に安全の“科学”ってなんだろう?

https://mana-park.com/what-is-science