タイトル通り。
初めから話が逸れて申し訳ないけれど

いいね!がたくさん欲しい時は、綺麗な吸い込まれるような写真と
一言で十分だと分かった。
けれども、そのような投稿ばかりでは私自身が飽きるし
読んでいる方も飽きてくる気がする。

長い文章を書くと基本的にいいね!は減る。
けれども、私はそれがいいと思っている。

いいね!が多い投稿の方が価値があるのか。
決してそうではないだろう。
逆にいいね!が少ない投稿の方が価値があるのか
と聞かれれば一概には答えられない。

でも、自分の大切なものを伝えていくことには
たくさんの時間とたくさんの文字とを
費やす必要はあると感じている。
(当たり前か)

だから、
自分の価値がどこにあるのか考えた時、
じっくりコトコトカレータイプだと思っている。

どうにかこのニュアンスが無事届くことを
祈りつつ、

カレーにズッキーニはよく合う。
ズッキーニは、農水省の統計によれば
年々栽培面積、収穫量ともに増加傾向にある。
ちなみに、
長野県と宮崎県とで日本の生産量の6割を占めている。
宮崎県に住んでいる農林関係に勤めている友達の話によれば
「宮崎県もズッキーニ力入れるねん」
と言っていた。

さらにズッキーニの栄養価は素晴らしく・・・
と話すと長くなるので
栄養価やダイエット効果等の側面については
別の媒体を参照されたい。

ここで私が述べたいのは、

ズッキーニすごいよね!

だ。

もちろんこの一言だけだと
何も伝わらないのでこれから説明したいと思う。

結論から言えば

“明らか致命傷を負ったズッキーニさんが居たんですが
新しい芽をつけて復活した。すごいなぁ”

という話だ。
興味のある方はこのまま読み進めていただきたい。

まずはこちらの写真をご覧ください。

樹の一部が茶色くなって
なんかすごいダメージを受けていることがわかる。

私もこの光景を見たとき

あらまどうしましょ

と思うしかなかった。
このまま枯れていくのか
それとも、手を施してどうにかなるのか。

私は、
ただ見守った。

真夏がクソ暑かったので水をあげたこともあった。
してあげられることはそのくらいで
ただ見守った。

すると、、最終的には
再び実り始め、こんな感じで復活している。

ほんとは全体像のビフォアフターの写真があればいいの
だけれど、ありませんw

私はこういう光景を見ると

すごいなぁ

と思うのである。

私の農園では、農薬の類は使用しない。

例えば、農家は野菜のお医者さんだったとしよう。
次に引用する素晴らしい本の内容を
是非とも読んでいただきたい。

医者は人を健康にしない。医者は病気や怪我を治療するだけである。
より正確に言うなら、病気や怪我を自ら治癒し得ていない人を手助けし、
その治療を阻害しているものを除去するのである。

たとえば、瞼に巨大なカサブタのようなものができてしまって、
目が開かなくなり、見えなくなった人が居たとしよう。そのカサブタを
医者が、眼球周辺の部位を傷つけないようにうまく除去し、
その結果、目が開いて見えるようになったとき、

「医者が患者の目を見えるようにした」(A)

と認識するのはおかしい。なぜなら、目玉はもともと見えていたのであって、
瞼が開かなくて見えなかっただけだからである。(A)のように認識すると、
目が見えるものはお医者様のお陰だ、ということになってしまうが、
これは神秘的な医者信仰と言う迷信である。
私はこういった類の「神秘的な合理主義」こそが、医療問題や環境問題
などの深刻な諸問題の根元のひとつではないか、と考えている。
より正確には、

「医者が合理的な方法で、患者の瞼のカサブタを取ることで、
目が見えると言う能力の発揮を阻害していた要因を除去した」(B)

と言うべきである。このとき、目が見えるのは何故か、などという問を
立てて探求する必要は全くない。なぜなら元々、見えているからである。
問題は、視力の発揮を阻害しているものがカサブタであることを認識し、
それをどうやって除去するか、である。
これが「合理的な神秘主義」の態度である。

医者がどんなに頑張っても、患者がすでに治癒力を失っていれば、
治すことはできない。この事実の上に立脚し、患者の苦しむ
要因を除去し、その力の発揮を回復せしめると言う普通の意味での
治療をするなら、そういうまともな医者のやっていることは、正しく
「合理的な神秘主義」の戦略である。
このように考えるなら、「合理的な神秘主義」は極めて当たり前の
伝統的な戦略なのであって、そこから逸脱するほうがむしろ、
どうかしているということになろう。

ー安冨歩著 合理的な神秘主義より引用ー

この本の内容と今回のズッキーニさんの話を
統合するのなら

・ズッキーニは元々、実をつける能力を持っていた
・私からしたら重傷に見えても、ズッキーニさん自身は、風邪ひいた
レベルのことだったかもしれない
・結局、ズッキーニさんがすごい

ということに他ならない。

日本の農業の多くは、
虫が来たら殺し、病気にならないように
または病気になったら薬をまいたりする。

で、
「私が育てた野菜」
と言って売りに出すのだ。

私は、野菜を育てるという言葉があまり好きではない。
正確なニュアンスで述べるのなら

野菜を栽培している

だ。

撒きたいタネをまき、管理し、収穫し、食べる。
ずーっと前から人類が営んで来た素晴らしい文明だ。

野菜は育つのであって育てるのではない。
「育てる」という言葉のニュアンスには
先ほど引用した、
お医者様のお陰だ要素がプンプンする。

もちろん育つには適切な管理、土の状態
があってこそ。

今回はズッキーニさんを例にあげたけれど、
野菜の種類によっても対処の仕方は違ってくるだろう。

農家がいくら頑張っても野菜自身がすでに
生きる力を失っていればどうしようもない。

果樹と野菜でも対応は違ってくるだろう。
なかなか一括りにはまとめられない。

けれども、

なんかすごい

これだけは伝えたいのである。