スーパーで置かれている玉ねぎは
魚でいうところの刺身状態です。
 
 
というか、玉ねぎに限らず、

ほぼみんな刺身状態

売られています。

そしてそれを見て、

「これが美味しいかな?」
「こっちの方がいいかな?」

と手に取り、
 
 
【美味しい野菜のポイント】
 
 
なるものをチェックし、
そのポイントが高いものを買い物かごに入れ、
お持ち帰りします。
 
 
その過程をショッピングと呼ぶとこにします。
(ちなみにこの投稿でショピングという言葉が
使われるのはこれが最初で最後です。)

私は、スーパーに置かれている野菜は
どれも美味しいと思うのです。
よっぽどのことがない限り。

ですから、雰囲氣で選えらびます。
 
 
特にさつまいもに至りましては、
フィット感を頼りに選びます。
詳しくは→
https://mana-park.com/sairekisho-satsumaimo-9
 
 
いや、
今日はそんな話をしたいのではないのです。
危うくさつまいもの誘惑にのるところでありました

今日、お話したいのは、
 
 

【皆さんは玉ねぎの根っこを見たことがありますか?】

 
 
 
についてです。

ちなみに、私はつい最近、初めて見ました。
 
27歳にして玉ねぎの根っこを見られたのは
 
幸運でしかありません。

で、感じたのです。

スーパーで置かれている玉ねぎって
刺身状態ではないか。と。

いやいやいや、
どっからどう見ても
玉ねぎやん!と言いたくなるお氣持ちは
わかります。

良いんです良いんです。
 
 
玉ねぎの刺身といえば、
玉ねぎの皮をむいて、
スライスした状態を指すことはわかっているつもりです。
 
 
お店で玉ねぎの刺身を注文して
玉ねぎが丸ごと出てきたらそれは
 
 
激おこぷんぷん丸です。
 
 

ここでちゃんと
玉ねぎという言葉を定義しましょう。
 
 
【世間一般】

玉ねぎ・・・丸いやつ

玉ねぎの刺身・・・丸いやつから皮をむき包丁を使ってスライスしたもの。
 
 
【まなべ農園】
玉ねぎ・・・畑で生えているありのままの姿

玉ねぎの刺身状態・・・丸いやつ

玉ねぎの刺身・・・丸いやつから皮をむき包丁を使ってスライスしたもの。

以上のように
 
 
【玉ねぎの刺身状態】
 
 
というのはまなべ農園で存在する言葉であることが
確認されました。
 
 
ですから、
まなべ少年に

「スーパーマーケットに玉ねぎを買ってきて」
 
 
とお使いを頼んだとすれば

泣きながら帰ってきてこういうでしょう。
 
 
「スーパーに玉ねぎなんてものは置いてなかったから
その辺の畑にある玉ねぎを引っこ抜いて
持ってこようとしたら
見知らぬおじいさんにゲンコツパンチ
された。うわーん」
 
 
です。

まなべ少年の中での

【玉ねぎ】

お使いを頼んだ人の【玉ねぎ】
 
 
言葉こそ同じでも

それを指し示している意味が違っていたのです。
 
 

ここでお使いを頼んだ人が

「スーパーに玉ねぎが置いていないはずないじゃないの!
もう一回行ってきなさい」

とまなべ少年に再度使いをお願いしても
 
 
「スーパーに玉ねぎなんてものは置いてなかったから
その辺の畑にある玉ねぎを引っこ抜いて
持ってこようとしたら見知らぬおじいさんにゲンコツパンチ
された。うわーん」
 
 
と再び泣きながら帰ってくるでしょう。
 
 

だから言っているのです。
 
 
自分の思っている言葉と
 

他人が使っている言葉と
 

が同じであっても
 
 
その人の背景にある文脈といいますか
 
環境といいますか世界観といいますか
 
それが違っていれば
 
全く意味が異なってくるどころか

存在すらしなくなるのです。
 
 
まなべ少年の目に見えた
スーパーマーケットの玉ねぎは、
彼の中では存在しないものだったのです。
 
 
スーパーマーケットには置いてあったのですよ。
 
 
でもそれに氣付かないのです。
 
 
だって、知らないから
 
 
 
ですからこう言ったケースの場合、

お使いを頼んだ人が一緒にスーパーに足を運んで

「まなべ少年よ、これが玉ねぎというものだよ。
何も畑に生えている姿だけが玉ねぎではないのだよ」
 
 
と教えてあげる必要があります。
 
 
「へぇ〜、大人はこの状態でも玉ねぎと
呼ぶんだね。わかった!
今度からちゃんと買ってくる」

となるわけです。

時を経て、

大人になった彼は、
恋人と晩御飯の支度を始めます。
 
 
玉ねぎがないとカレー作れないよ。
ちょっと買ってきてくれない?』
 
 
とあろうことか彼女にお使いを頼みました。

とはいえ、近くのスーパーまで5分、

ですから

すぐに戻ってくるだろうと思っていました。
 
 
しかし、なかなか帰ってきません。
2時間くらい経ってやっと、
 
 

「ただいま〜」

という声がしました。
 
 

彼女は泥だらけになって帰ってきました。

どうしたの?

と聞くと、

「えっ?玉ねぎを買ってきたんだよ」

 
 
と彼女は答えました。
 
 

『えッ?
玉ねぎはスーパーに置いてあるじゃないか』
 

と彼は少し強い口調で彼女に問うたのです。
 

すると彼女は、
 
 

「えー、スーパーには玉ねぎの刺身状態でしか
置いてなかったよ。

玉ねぎが欲しいと言ったから
知り合いの農家さんの元まで行ってきたのよ。

だってこれが
 
 
玉ねぎ
 
 
でしょ?」
 
 
その答えを聞いた彼は、 
少年時代を思い出していました。
 
 
 

(あぁ、あの時、僕がスーパー見ていた、
いや、見えていなかった
玉ねぎ
玉ねぎの刺身状態”だったんだ。)
 
 
大人になるにつれ、

そんな大昔のことは忘れてしまっていました。

いつの日からか、

彼の中での“玉ねぎ”の定義が
世間体の定義に染まって

変わってしまっていたのです。
 
 
そしてそのことすら氣が付かず

生活していました。
 
 

でも。
 
 

『そ、そうだよ。

僕が欲しかったのは

玉ねぎの刺身状態ではなく

玉ねぎさ。

暗いところ買ってきてくれて

あ、ありがとう。

お風呂湧いているから入ってきて。

その間にカレーを作っておくよ』
 
 

そう言って、

彼は台所に立ち

玉ねぎを見ていました。
 
 

『そうだそうだ。

これが”玉ねぎ”だったんだ。

危うく僕は玉ねぎがなんたるかを

忘れるところだった。

さっきは思わず強い口調になってしまった。
 
 

僕は彼女の何をみてきたのだろう。
 
 

君が毎日何を思って
 
 
何を大切に生きているのか
 
 

まだ何も知らないじゃないか。」


 


 


 


 

 

 

ところで皆さんは、

玉ねぎの根っこを見たことがありますか?

/最後までお読みいただきありがとうございます/

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