A子(仮名)と話すのは高校卒業して以来だ。

でも、まさかこんな形で会うことになるとはー

目次(クリックでその箇所にジャンプ)

 

 

はじめに

 

私は氣分によって物事をポジティブに捉えたり

ネガティヴに捉えたりする。

ネガテイブ真鍋はつい弱氣になったり、

世間の言説とは反対の意見を堂々と述べたりしている。

その中での出来事。
 

まなべ

食べることは生きることだと!?

はぁ?

間違いなく、今日1日過ごしたら

死に近づいたってことでしょ!

食べることは死ぬことでしょ。

明らか不健康そうな食べ物を自ら進んで

食べている輩もいるし、

何が

食べることは生きることだよ。

食べることは死ぬことだよ!

 

って、考えてたら、

本当に死にそうになった。
 
 
人間は

自分の観たいように世界をみて

食べたいように食べている。
 
 

食べることは生きることだと

いう信条の持ち主であれば

生きるために食べるであろう。
 
 

食べることは死ぬことだと

いう信条の持ち主であれば

死ぬために食べるであろう。
 
 

ネガテイブ私は、

死ぬために食べていた。
 
 

その結果、本当に死にそうになった。

だから私は、

もう二度と、

死ぬために食べるなんて言わない。

絶対。

 
 
 
生きるために今日も食べる。

生きるために、

この一食を味わう。

 

 

~令和元年 某日ー

 

私は、畑に実ったサニーレタスを

るんるん氣分で眺めていた。

どうしたら、より美味しく食べられるだろう?

その時、ひらめいた!

鶏肉と一緒に食べれば絶対うまい!!

と。

レタスに肉を巻いて食べることなど、

ひらめきでもなんでもない。

焼肉屋さんやハンバーガー屋さんが

すでに提供してくれている組み合わせである。

ただ、その時の私は、

レタスに肉を巻いて食べることは

自分の専売特許であるか如し、

るんるん気分でレタスを収穫し

鶏肉をゲットしにスーパーへ向かった。

 

やはり、ここは最上級の贅沢品、鳥のもも肉を

チョイスすべきだと確信に満ち溢れていた。

しかし、「待った」が掛かった。

もも肉より、手羽元の方がいいんじゃないか?

なぜなら、肉を食べた後の骨をスープにできるし、

レタススープもきっと美味しいに違いない。

そう確信した私は、もも肉を棚に返し、

手羽元鶏肉をゲットした。

お昼は、

ご飯と、鶏肉を焼いてと、サニーレタスとをムシャムシャと食べた。

まぁ、

今日も死ぬために食べているよな、わはは

そう言い残し、私は午後の作業へ向かった。

午後8時、シャワーなり晩御飯の支度なり

色々しながら、

いよいよ、

鶏肉、レタス、

晩御飯を食べる時がきた。

昼間残った骨をスープにし、

そこにレタスを入れ、

そして、

お昼の残りのご飯を入れ、

雑炊風に仕上げた

これは、絶対うまい

まぁ、でも、今日も一日死に近づいたわけであるが

そんなことを言っていたら。

急にお腹がギュルギュル言いだした。

30分もしないうちに。

なんだろう?

お腹がギュルギュルしているぞ。

私は氣持ち悪いと思いながらも

息をし続けた。

ところがやっぱり、

このギュルギュルは只者ではない。

トイレでしばらく様子を見よう。

ん?

なんか胸が苦しいな。

お腹もギュルギュル

胸も締め付けられる

なんだろう

恋煩いかもしれない。

いや、恋煩いで胸が締め付けられることは

あってもお腹がギュルギュルすることはない

一体、このなんとも言えない感じはなんなんだ。

そうこうしているうち、

嘔吐した。

私は苦しみはじめた。

うをう。

なんだなんだ。

うをう。

便器に座るのもしんどい、

床に倒れこんだ。

ギュルギュルとwuwowuとが繰り返される。

下痢ピーと嘔吐。

しかも血が出ている。

なんだ。これは。

うをう。うをう。うをう。

これヤヴァイやつかも。

明日、約束事があるのに、、

ヤヴァイかも。

あぁ。死にそうになる。

神様仏様どうにかしてくれませんか?

この苦しみから私を解放してください。

どうして、こういう時、

神様とか仏様とかに頼るのだろう。

都合のいい時だけ、神様を召喚したり、

仏様を思し召したくなるのは

人間の性だろうか。

そんなことを思っても、

何一つ解決されないのに。

何かしらの特定の宗教を信じている人は、

教祖様を思い浮かべて

教祖様にお願いするのだろうか?

新興宗教であれ、カルト宗教であれ、

そこに属すると、

「神様助けてください」

の神様は何か具体的なものを指すのだろうか?

今度、誰かに聞いてみよう。

お金で買えないものは、健康とはよく言ったものだ。

今ここで100万円を誰かにプレゼントしたとしても

この容態は良くならないであろう。

名医に頼んだとしても

結局は、自分のカラダが最大限の免疫力を発揮してくてこそ

私は通常状態に戻る。

あーどうしてこんなことに?

あーどうしてこんなことに?

何が原因だろう?

いや、今は、原因を考察している暇はない。

何せ、死にそうなくらい苦しいのだ。

原因は何であれ、今すべきことは、

このwuwou状態からの一刻も早い脱出である

しかし、

私にできることといえば、

嘔吐と下痢と。

この2点セットだ。

「私は良くなっている

どんどん体調が良くなっている」

そう自分におまじないをかけつつ

2点セットを繰り返した。

落ち着きを取り戻した頃、

私は寝床に着いた。

明日体調が優れなかったら

約束事はキャンセルしよう。

人に移しても行けないし。

ー翌日ー

体調は相変わらず死にそうにだるい。

這いつくばりながら

野菜の苗に水をくれる。

これだけは死んでもしないと

野菜が消えるのだ。

こんなとき、ロボットがいてくれれば、、

結局約束事はキャンセルした。

とても楽しみにしていただけに残念であった。

しかし、仕方ない。

これも何かの縁だ。

しかし、何が原因だろう??

冷静になって考えてみた。

こういう時は科学的思考法が役に立つ。

自ら仮説を立て、その原因を突き止め、

死にそうになる思いを二度と繰り返さないよう。

そういや、ツイッターでA子が鶏肉を食べて

死にそうになっていたとつぶやいていたな

もしかしたら、

鶏肉が原因かも。

と仮説を立てつつ、

そういや、

A子は苦しんでいる時どんなことを考えていたのだろう

私は、氣になって仕方なかった。

自分は神様仏様にお願いするのだけれど、

A子は、何を考えていたのか。

私は、10年ぶりにA子に電話した。

まさか鶏肉事件で10年ぶりの再会(電話だけど)をするなんて

卒業式の時、一体誰が想像しただろうか。

A子とは鶏肉事件の話もそこそこに、

色々な話で盛り上がった。

氣づけばあっとゆうまに一時間話して、

多分、話そうと思えば無限に話続けられるのだが、

夜も遅いし、朝も早いし、仕事もあるし、

電話を切った。

そうそう、結局のところ彼女は、

『トイレ困るなぁ』

と考えていた模様。

確かに、私の場合は、いざとなればトイレは、

野外で済ますことができる。

しかし、シティーガールの彼女は、

たくさんのビルに囲まれて生活している。

ゆえ

いつでもどこでもトイレのある場所を確保しないといけない

というのは論理的思考に適っている

ああぁ。

私は神様仏様に叶いもしないお願いを繰り返したのに

A子は将来のことをしっかり考えてる

10年という時間がこうも

お互いを変化させるとは思ってもみなかった。

 

 

 

ところで、

今回の鶏肉お腹痛い事件の犯人は本当に鶏肉なのか?

 

これには人間の思考回路のバグも丁寧に説明しているから、

・メディアリテラシー向上したい方

・テレビの嘘を見抜きたい方

はこのまま読み進めてほしい。

まず、人間のシステムを理解する必要がある。
 

人間というのは、

自分の信じている世界観によって

この世界を見たいように見て

聞きたいように聞いて

生きている。

世界観というのは、

一人一人違う。
 

じゃあ何が違うのかというと、

大切なものの度合いだ

意識せよ無意識にせよ、

私たちは、

こっちよりあっちの方が大事、例えば

家族より仕事

仕事より家族

デートより餡子作り

餡子作りよりデート

と優先順位を決めていて

それで、じゃあ今日何する?

ってなった時、

「デートしよう」

「餡子を作ろう」

「仕事をしよう」

「家族旅行をしよう」

こんな感じで行動に移す。
 

実際行動に移すものは

その時、一番自分にとって大切なことだ。

そういたシステムが人間には埋め込まれている。
 

その2

自分の知っていることしか
知らないし見えないし聞こえない

なにを当たり前なことを言っているんだ

と思われるかもしれない。

けれど、これほど大切なものはないから

何度でも言おう。

人間は自分の知っていることしか

知らない、見えない、聞かない

である。

ということは、何かしらの原因を探るとき、

今回の「腹痛」の原因を探るとき、

必然的に、その原因は、

自分の知っている物事の中からチェイスされる。

私があの日食べたのは、

鶏肉、ご飯(米)、サニーレタス

主にこの三点である。

この中から原因を探し出そうとする。

けれども、

本当の原因は自分の知らない物事にあるかもしれない

という可能性を常に頭に入れておくこと。

まさかとは思うことでも

使ったまな板?

鍋?

もしかしたら

もしかしたら本当に自分の知らない何か

の可能性も十分に考えられる。
 

にもかかわらず、

今回の腹痛事件の原因を「鶏肉」と断定した。

なぜだろうか?

これも人間特有のシステムの一つで、

何かしらの原因を特定して

安心を得たい

という欲求が常にあるからだ。

例えば、夜中にピカピカ光る何かが

目の前を横切ったとする。

一体、あの光はなんだ?

え、まじで何?もしかして火の玉?

とか類推する。

その時、心は動揺し、少しあたふたしている。

デート中であれば、なおさらだ。

女の子の前で、

あまりあたふたした姿は見せたくない。

けれど、あの光が何かわからないとあたふたしてしまう。

こんな時、とりあえず、

あの光は蛍や!火の玉ではない

と原因を見つけることで心に安寧をもたらすことができる。

そして、楽しいデートを送ることができる。
 

この安心を得たい欲求は、

他人に対しても行われる、

テレビで強盗犯が捕まったとしよう。

あいつは悪い奴だ!きっと、薬をやっているに違いない!

とか

引きこもりだ!フリーターだ!ニートだ!

と言って、

何かのレッテルをはり、

そうだよな、〇〇だからそりゃ強盗もするわな

と安心を得たいからである。

しかし、

〇〇だから△△だという因果関係は

そう簡単に証明できるものではない

なぜなら、この世はとても複雑にできているからだ。

いろんな要素が絡み合ってできているし、

だいたい、

〇〇(レッテル)だからそりゃ強盗もするというのは

差別や偏見に基づく思想であるから私は認められない。
 

この「安心を得たいという欲求」がある

ということだけでも知っているだけで科学的思考法はパワーアップする。

私の場合、

とりあえず「鶏肉のせいや!!!」と断定することで

安心したいんだな

という自分を受け入れ、そこから一歩進んで

「待てよ、本当に鶏肉が原因か?」

と考え直せば良い。

ここで、初めに述べた、人間の特性に戻ろう。

「自分の信じている世界観によって

この世界を見たいように見て

聞きたいように聞いて

生きている。」

という前提が原因追求を曇らせるのである。

私は野菜のことが好きだから、

まさかまさか。

今回の事件の犯人が

「サニーレタス」であるとは考えもしない。
 

だって、冷蔵庫のプリンが一つ減っていたら

それを彼女の仕業だとは考えないでしょ。

自分が数え間違いしたのか

自分が寝ぼけて食べたのだ

と考えるのと同じ原理である。

ただ、原因を追求する際、

大切にしなければならないのは

そう言った好き嫌いの感情を一切抜きにして考える

ということである。

だって、本当にサニーレタスの可能性もあるから

自分では認めたくないよ、そりゃ、

野菜が自分の腹痛の原因だなんて。

冷蔵庫のプリンを彼女がこっそり食べていただなんて。

認めたくない。

わかるとてもわかるんだけれど、
 

真理を追求する者の使命として、その可能性も

考慮に入れる必要があるということだ。
 

一回ここまでの話を整理しよう。

人間はこんなシステムで動いています。

・自分の見たいようにこの世界を見ている

・知っていることしか見えない

・安心を得たい

腹痛の原因究明にあたり、その原因の候補としてまずは

自分の知っている物事の中から考える。

・鶏肉・ご飯・サニーレタス

自分の知らないものは原因の候補にすら上がらない。

もしかしたらそこに犯人がいるかもしれないのに。

・鍋・まな板・昨日食べた餡子

とりあえず安心したいから「鶏肉」を犯人に仕立て上げる。

冷静になって考えたとしても、

野菜(自分の好きなもの)が犯人だと思いたくないので

「サニーレタス」がその候補に

上がることはない。

こんな感じの話である。
 
 

じゃあ、結局、真犯人はどこにいる?

とさらに考え出しても

これだ!という300%

絶対なる原因は突き止められない

ということも知っておくべきだ。

それがこの世のシステムである。

だから、私の中で原因を突き止めたとしても

それは仮説の一つにすぎない。ということ。

そして、途中でも述べたが、

複雑な要因が絡み合って腹痛を起こした可能性もある。

日頃の疲れ

昼間のご飯を夜食べたことによる菌的なもの

鶏肉の骨をしゃぶりすぎたことによる何か

サニーレタスに付着していた何か

鍋に付着していた何か

まな板に付着していた何か

昨日食べた小豆の何か

の歯車が全て噛み合って

Wuouwuou腹痛を引き起こしたかもしれない。

本当にそれが原因だと確かめるには

同じ疲れ具合

同じご飯

同じレタス

同じ鶏肉

同じ鍋

同じまな板

同じ小豆

を再現する必要がある。

そして、再び、腹痛が起きれば

さらに、原因を絞っていく作業に入る。

しかし、ほぼほぼ100%同じ条件が揃うことはない。

しかも。

その原因究明のために、

再び腹痛になろうとするものがどこにいるだろう
 

しかし、真理の発見や、文明の発展は、

変人によってもたらされてきたことの確かだ。

自ら腹痛になることを顧みないもののおかげで

たくさんの薬が開発されてきた。
 

イギリスの哲学者John Stuart Mill「自由論」の中でこう述べた。

 

『個性が発展すればするほど、各人の価値は、本人にとっても、

ほかの人々にとっても、ますます高くなる。

自分自身の存在において、

ますます活力の充実が感じられ、そして、ここの単位に活氣が

溢れれば、それを集めた全体にも活氣がみなぎる

 

と。

その通りである

腹痛を起こし苦しんでいる者に

「あいつなんだよ、キモくね?」

と周りがどう見ようと周りからどう言われようと

関係ない。悪いのはそいいう目線で見るそいつらだ。
 

私は再びあの腹痛を経験する勇氣はない。

そうさ、私は臆病者である。怖いんだ怖いよ。

またあの腹痛を経験するのは。
 
 

けれど、

臆病者なりに今回の腹痛事件の犯人を突き止めた。

「食べることは死ぬこと」

と言いながら食べていた、あの時の私よ

食べることは生きることだ!

生きることは食べることだ!

食べ物の源流は太陽に始まり、

植物、野菜、それを食べる家畜、

そしてそれを食べる人間。

全て命のリレーがあってここにある。

それなのになんだ!

「食べることが死ぬこと」だと??

よし、そうであるのなら

死にそうにさせてやろう!

とどこかの誰かさんが毒を盛ったのかもしれない。

けれど、この際、

原因はどうでもいい。

今回の事件の犯人は。、

私がつぶやいていた

「どうせ食べることは死ぬことだ」

というアホみたいな考えであること。

そして、私はもう二度と、

死ぬために食べないことをここに誓う。

私はどんな時でも、

生きるために食べる。

今日、この一日を。

食べるために生きる。

 

ところで、

皆さんは今日、

何を食べましたか?
 

最後までお読みいただきありがとうございます。
 

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