先日、白小豆のタネを撒きました。
今回は、白小豆の魅力について書いています。

小豆の花(2016年八月撮影)大納言小豆か白小豆かどちらかの花である

小豆といえば、
赤色を想像するでしょう。
わざわざ赤小豆とは言ったりしません。
何故でしょう。

少し話は逸れますが、
和菓子について考えてみます。
洋菓子が本格的に入ってきた明治時代以前は
和菓子という概念はなかったでしょう。
お菓子といえばそれは和菓子のことを指していたからです。

和食洋食についても言えることだと思います。
食事といえば和食以外には考えられなかったのです。
当時は和食という言葉さえ存在していないでしょう。
わざわざ区別する必要がなかったからです。

ダイエットについても言えます。
そもそもマッチョ、肥満、ガリガリと区別はなく
ただただ、体型を見ていたのだと思います。

そこに何かと比べて太い、細い、力がありそうだ
の認識が生まれやれマッチョだ!やれ肥満だ!
と騒ぐようになったのです。

このように区別する名前の例はいくらでも
あげることができます。

ですから、
小豆はわざわざ赤小豆と言わずとも
赤いものを指しているのが現代です。
洋食が入ってくる前の食をさす状態に似ています。
洋菓子が入ってくる前の菓子をさす状態に似ています。

では今後、時代が流れ
和食、洋食、和菓子、洋菓子、マッチョ、ガリガリ
と区別されることが一般的になったように、
赤小豆、白小豆と区別される時代がくるのでしょうか?
(補足説明:もちろん和菓子業界ではこのお菓子には白小豆が良い、
小豆(赤小豆)が相性が良い、とちゃんと区別して製造されています。
ここで述べているのはあくまでも世間一般的な話であります。)

デートで定番のフレーズ。
「今日何食べたい?」

キジのデート現場です。
画質が粗くて申し訳ありません。

に対して
「中華の気分や!イタリアンの気分や!」
という会話が日本全国で繰り広げられるようになった
ように、

「今日何食べたい?」
に対して
「白小豆100%の餡子を使ったお菓子が食べたいなぁ」
という時代は来るのでしょうか?

私は
正直、来るかもしれないけれど
時間がかかると予想しています。

では、区別されることで何か良いことがあるのでしょうか?
分類することのメリットはなんでしょう?
逆に区別されるようになったことでデメリットはないのでしょうか?

なんのために
洋食、洋菓子、マッチョ、ガリガリ
という概念を導入する必要があったのでしょうか。

私は老子という書物が好きです。
まだ原文には触れられていませんが現代訳されたものが
いくつか出版されています。

その中でとてもしっくり来るのが
『老子の教え あるがままに生きる』 
安冨 歩 著(東京大学東洋文化研究所教授。1963年生まれ。
京都大学経済学部卒業後、株式会社住友銀行勤務。
京都大学大学院経済学研究科修士課程修了。
京都大学人文科学研究所助手、名古屋大学情報文化学部助教授、
東京大学大学院総合文化研究所・情報学環助教授を経て現職。
 http://amzn.asia/2ynVthz
という本です。
()内は上記本から引用しました。

この本の中で

“この世界にはもともと善悪も優劣もない。
この世界においては何事も、ただ、そこにある。
そこには、美醜も善悪もない。”

と書かれています。
この文章を参考にすれば

この世界にはもともと和・洋も赤・白も肥満・マッチョもない。
この世界においては何事も、ただそこにある。
そこには、美味しい不味いもない。カッコいいカッコ悪いもない。

となるでしょうか。

あなたが美しいものを「美しい」と思うことで
「醜い」が生じる。
あなたが、善いものを「善い」と思い込むことで、
「善くない」が生じる。
それらは、あなた自身が、作り出しているに過ぎない。

・・(中略)・・

音楽を「音楽」とするから、雑音が「雑音」となるのであり、
両者は調和する。
先を「先」とするから、後が「後」となるのであり、
前後は付き従っている。
これらは常にそうである。

優れた人や、劣った人がいるのではない。
豊かな人や、貧しい人がいるのではない。

誰かを「優れている」と思うから
誰かが「劣っている」ということになり、
誰かを「豊か」だと思うから
誰かが「貧しい」ということになる。

それは、あなた自身が、作り出しているに過ぎない

以上引用終わり。

誰かをマッチョと思うから
誰かがガリガリということになり
小豆を「赤色」だと思うから
白小豆が白小豆ということになる。

それは、あなた自身が、作り出しているに過ぎない。

と置き換えてみました。
実はここにダイエット成功の秘訣があるのですが
また別の機会に書きたいと思います。

白小豆の魅力について書いてあることを
忘れてはなりません。笑

先ほどのデートの現場を思い出してみましょう。
「今日何食べたい?」
の会話の中には
好きな人と楽しい時間を過ごしたい。
美味しい食べ物を一緒に食べたい。
仲良くなりたい。

などの目的があります。
提案などしなくても恋人が
「今日はあなたのために美味しいお店を予約した」
となる場合もあります。
が、
どちらの場合にせよ先ほどあげた目的であることには
変わりありません。

中華を食べたい気分だったのに
予約先のお店は洋食屋さんでがっかりした。
とはならないでしょう。

つまり、区別するということは
コミュニケーションにおいてスムーズにことが進む
という手段であるのです。
自分の食べたい気分を表現しやすくなったと言えるかもしれません。

そして、一番大切なのは
人々にこうした認識があることで
もし洋食が絶滅した時に、または絶滅しそうになった時に
気づくことができるという点です。

その存在が知られているというだけで
素晴らしいことなのです。
美味しい洋食が食べられなくなる危機が迫ってきたら
必死でそれを阻止しようとするでしょう。

たくさんの人々に洋食の存在価値が認識されているからこその
行動であると言えます。

老子の中では
和食、洋食はどちらも食であって
和があるから洋があって
美味しいがあるから不味いがあって
それらは私たち自身が作り出している
とのことでした。

一見、区別することに躊躇いを覚えそうになります。
ですがこれはまだ、
区別できるだけの余裕があるのです。

もし、現代でも一般的に
白小豆、赤小豆という認識があるのなら
白小豆が絶滅しそうになった時、気づくことができます。
赤小豆が絶滅しそうになった時、気づくことができます。

ですが、今の現状はどうでしょうか?

小豆と言った時に、赤、白とわざわざ分けて考えますか?
餡子が食べたいと言った時に、
白あんが食べたいけれど、白小豆の入った餡子がいいと
いう会話がデート現場で繰り広げられることがありますか?

お汁粉を飲みたいと思った時、
白小豆のお汁粉を考えることがありますか?

多くの人にとってはないでしょう。
本当に、そう思っているのなら
スーパーには白小豆が普通に並んでいるはずですし、
コンビニにも白あんの和菓子が普通に並んでいるはずです。

豆と生活という誌面上で 島原作夫さんが
「白小豆の歴史と生産、そして和菓子」
と題して書かれてある項目を一部引用いたします。

白小豆の白餡のシェア
表4は餡等の原料豆の国内生産量と輸入量(加糖餡を含む)
を示したものであるが、その合計は142,128tであり、
そのうち餡に使用される豆の量は122,239tと推定される。
餡に使用される豆の量が12万tに対し、白小豆の生産量は
180〜240tと、そのシェアは0.1〜0.2%であるから、
白小豆の白あんにお目にかからないのは当然である。

(中略)

白餡を白小豆で作った場合、他の豆に比べ風味が良く、
白小豆は手亡や福白金時より小さな粒子の割合が高いので
舌触りが良いといわれている。
御粽司の川端道喜は、備中白小豆を使った餡はよかったが、
最近はほとんどの白餡は手亡で作られれる。
でも備中白小豆に比べたら雲泥の差があると述べている
(『和菓子の京都』1990)

引用終わり。
生産量が少ないが故に一般的にお目にかかることがない
白小豆です。
見逃せない重要な点がもう一点あります。

白餡も原材料となる豆によって
味わいが変わるという点です。
原材料によって味わいが違うという当たり前のことです。
パンも小麦粉の種類によって風味や旨味が違ってくるように
白餡も白小豆を使うのか、手亡豆を使うのか福白金時を使うのか
またそれらをブレンドするのかによって味わいが変わってくるということです。

社会人になって和菓子屋で働き始めた私です。
使う豆によって味わいが変わる
というのは身に染みて共感できます。
研修で餡子の食べ比べを行った時です。

白小豆100%の餡
手亡・福白金時の餡

を食べ比べしました。
この時の味わいが忘れられません。

今まで白餡について深く知っていた訳ではありませんでした。
せいぜい、白小豆は希少だという知識しか持ち合わせていませんでした。

比較するとここまで味が変わってくるのか
という驚きと
何より
白小豆100%の白あんの
香り高さ、舌触りの良さ、味わいの良さ
に感動したのを覚えています。

つまり、
白小豆100%の白餡は
とても美味しい
のです。

こんなにも美味しいものがなぜ
一般的に認知されていないのでしょうか?

私は美味しいものはたくさんの人に食べてもらうべきだし
次の世代にも残していくべきものだと考えています。

こんなに美味しい白餡があるのに知らない人がいるのはもったいない。
残念なのは、白小豆を使っていない白餡しか食べた事ないのに、
それが気に食わないから和菓子自体を嫌いになってしまう事です。
更に更に残念なのは、どうして白小豆餡は駆逐されたのかという考えを
放棄してしまうことです。

簡潔に申し上げれば、白小豆は、栽培が難しく、
収量がほかの豆に比べて上がらないのが現状です。
日本でも生産量は限られています。先ほど引用した数字が物語っています。
ですから豆自体の価格が高くなる
→出来るだけ原価を安くしたい和菓子製造会社では扱えない
→安い豆を使った餡ができる
→消費者も安いものを求める
→売れる
→安い豆でいいやん!ってなる
結果・・・

本当に美味しい白餡(白小豆100%)が無くなる

しかし、さらに更に更に残念なのは
白小豆100%の白餡が絶滅したとしても
一般的には気づかれないということです。

白餡クライシスが起きているのに
白餡クライシスに気づかず
同じような日々を過ごし
気づけば無くなっていて
何十年後かに
「昔はなぁ、超美味しい白餡があってん。
でも今はもう食べられんねん」
と回顧し
あの時、白餡にもう少し敏感になっていれば
と後悔してもすでに時遅し。

無くなったものは
復活しません。

多少話は盛りました。
絶滅することはないにしても
美味しい白餡がほんの限られた人にしか
認知されていないのは白餡クライシスだと思います。

ではどうすればいいのでしょうか?
簡単で、
自分で白小豆の魅力を伝えて←今はこの段階
出荷して
白小豆の流通量を増やせばいいのです。
そのためにも
白小豆を買っていただく必要もあります。
ですから
今年無事収穫を迎え出荷できる状態になりましたら
購入の検討をお願いいたします。

お汁粉は赤小豆でなくてもいいでしょう。
餡子は赤小豆でなくてもいいでしょう。
白があってもいいのです。
そのように、
餡子の世界にも多様性を持たせれば
とても楽しいと思います。

他を駆逐するのではなく
うまいことやっていく。

つぶあん派がいていいし
こしあん派がいていいし
白小豆100%白餡派がいていいし
手亡豆福白金時白餡派がいていい。

ただただ美味しいものを
皆で認め合い、褒め称え合いながら
豆の多様性を次世代に引き継いで行ければいいと
思っています。

勘違いしていただきたくないのは
手亡豆福白金時白餡が悪いと言っている訳ではないのです。

和菓子の用途によって餡子を使い分けるように
その餡子の用途によっても豆を使い分けるという
だけです。

白餡を使った羊羹にも
原材料が
砂糖・白小豆・寒天
の羊羹もあれば

砂糖・白小豆・福白金時・手亡・寒天
の羊羹もあります。

↑これは珈琲羊羹ですので珈琲が入っています

和菓子屋さんによって
この食感がいい、口どけ感がいいという基準が
あるので豆を使い分けているだけの話です。

まなべ農園基準は
野菜が美味しいことを重要視しています。
豆で例えるなら
豆自身の味がちゃんとする
ということです。

元々の豆の味がないと
その後いくら加工しようが豆本来の味は添加できません。
逆に
元々の豆の味がしっかりしていれば
加工する過程でも豆の良さが生きると考えています。

畑は全ての源流です。
ここが良くないといくら飾り付けをしても
体裁だけを整えるということになると考えています。

以上、みんなすごいけれど
白小豆もすごい!!
でした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

まなべ農園
真鍋和孝