今日は初詣に行ってきました。
愛媛県大三島にある、大山祇神社へ
参拝してきました。

大きな楠が鎮座して、迫力満点の
神社でありました。
 

 
私は神社事情には詳しくないので
大山祇神社でぜひ調べてみてください。
 
昨年末、2019年を振り返ることがあまり
できなかったので、
今、振り返りたいと思います。

 
義務感に追われて文字を書くという
ことでは、ありませんが
何かこうして、文字にすることで
まなべの人柄を感じ取っていただければと
存じます。
 
 
さて、昨年やってよかったことの一つに
 
さつまいも栽培があります。
 
好きな野菜はなに?
と聞かれれば
 
今は、正々堂々と
 
さつまいも!
 
と答えることができます。
 
 
 
私は甘い食べ物が好きです。
ゆえ、
 
さつまいもはその条件を満たしてくれます。
 
また、作業していても楽しいです。
 
草を抜くという作業は野菜栽培において
 
必須の工程です。
 
ただ、さつまいも畑の中に身を委ね
 
草を抜くのが一番楽しいです。
 
とはいえ、夏のクソ暑い日は
 
嫌になることもあります。
 
収穫をして、お客様の元へ
 
届けられた時はとても嬉しいです。
 
イノシシの襲撃から守りながら
 
美味しい芋を食べることができ
 
本当に嬉しいです。
 
あとは、さつまいもをきっかけに
 
話が広がる現象も好きです。
 
さつまいもは、みんなから好かれています。
 
ですから、さつまいもの話題となると
 
何々が好きで〜
この調理法が好きで〜
 
という風に、楽しい時間を過ごすことができます。
 
さつまいもがきっかけとなり
新しい人間関係が生まれることもあります。
 
私は野菜とは主従関係にあるのではないと考え
ています。
 
ここでいう主従関係とは、
 
人間が野菜を従えている
野菜が人間を従えている
 
と考えることです。
 
私は野菜と人間とは
素敵なパートナーだと思って過ごしています。
 
それは、どちらかがかけたら
 
成り立たないということです。
 
野菜に意思(意志)があると
思うことは変かもしれません。
 
私は野菜とはお話できません。
私の理解できる言語は、
日本語と英語です。
 
でもいつか、野菜とお話できれば
いいなと思っています。
 
そうしたら楽しいからです。
 
不思議なのが野菜のタネを撒いたら
 
必ずと言っていいほど芽がでる
 
ということです。
 
そんなの当たり前だと思うでしょうか?
 
私は、思いません。
 
野菜の中にも性格悪い奴がいて
今年くらい芽を出さずに過ごそう
 
と考える野菜がいてもいいと思うのです。
 
今の所は、毎年芽を出してくれています。
 
これは、人間と野菜とが
 
長い時間をかけ信頼関係を築きあげてきた
結果です。
 
つまり、
 
人間は野菜を食べる
野菜は人間に食べられる
 
ということでお互いの生命を維持しつづ
けているということです。
 
野菜は食べられたら死んでしまします。
 
確かにその通りです。
でも、体内に入った野菜は
 
人間の血や肉となり、食べた人の
人生を支えてくれています。
 
という意味で、形はなくなったかもしれませんが
その人の中で生き続けているのです。
 
生命は循環するのです。
 
でも、私が野菜だったら
正直、食べられたくはありません。
 
包丁で刻まれるのとか
痛いでしょうし。
 
私は自分の都合のいいように
この世界を見ています。
 
別に私の考えに賛同してほしい、
とかも思っていません。
 
野菜も私と同じように思っているかも
謎です。
 
でも、それはそれでいいのです。
 
いずれにせよ、
 
2020年も美味しいさつまいもが
食べられるように、
 
日々過ごしてゆくのです。
 
 
まなべ農園 真鍋和孝
 

初詣の帰り道

 

ポンカンと空