本棚を整理していたら発見。
2014年9月号。6年前。
この雑誌をみて「米すごい!いろんな米食べたい!」とは思わなかった。
多分僕はあまりお米が好きではないのだろう。
 

思い出の雑誌といえば、
2013年11月BRUTUS「あんこすき」。
 

ここに掲載されていたあんこ屋
(和菓子屋)さんには食べに行ったりしたから思い出がある。
言葉→胃袋→糞
の過程を経て、自分の肉体に食べ物はメモリーされる。
そういえば、今日、
 
C・W・ニコルさんの「失われた言葉
という
記事をネットで読んだ。
 
<<引用始め>>
「失われた言葉」とは何なのか。恐竜の名前のように、その存在自体が絶滅したことで廃れた言葉の話ではない。世界の多くの地域に今も生息している動植物や鳥の名前、自然に関する言葉の数々が失われている。(中略)
森や自然に関心を持ち、わざわざ私の話を聞きにくるような若者でさえ、木の名前をろくに知らない。私が語ろうとする話を理解するのに必要な語彙(ごい)を持ち合わせていない。
  
自然は幻想でなく、現実の世界に息づく。
しかし、少年時代の私が慣れ親しんだ自然は急速に消えつつある。有史以来、かつてない速さで。その流れを止められないまでも遅らせるために、名前という「魔法の言葉」が必要だ。
 
<<引用終わり>>
 
 
食べたい↔︎食べられるもの
食べられるものには名前があって、
それが失われてしまったら
食べたいとすら思わなくなるだろうな。
 
と、消えゆく在来種のことや畑ではなく
ジーンバンクで暮らしている作物のことを
思い出した。
 
話は逸れて、
「食べ物の選択」とかそういう言葉を耳にする度に
そして、
「自分は自分の食べ物を選んでいるんだ」
という言葉を耳にする度に
嘘つけ
って思うことがある。
 
「食べたい」は、自分の過去の知識の中からしか
生まれてこないと思う。
 
知らないことを食べたいとすら思わない。
つまり、
こういう雑誌とか本とか読んで
食べたいって思うことは、
それって結局、
自分の食べたいじゃなくて、
他人があなたに食べたいと思わせたこと
なのではないかと思う。
 
遺伝子組み換えや農薬、食品添加物の話などを聞いて、
オーガニックなものを食べたいと思ったら
それって結局、
自分の食べたいじゃなくて、
他人があなたに食べたいと思わせたこと
なのではないかと思う。
 
もちろん、
私たちは他者(諸々のことを含む)と
共に生きている。
 
自分一人、というのは存在しない。
そういった関係性の中で生きている私。
 
「今沸き起こってきた、食べたい、という欲望は、
 他人に操られたものなのか、
 自分から湧き上がってきたものなのか」
 
 
と考えているけれど、
結局、よーわからん。
と言いながら、炊飯器で蒸しあげたさつまいもを
これから食べようとするところである。
 
おしまい。
 

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