草取り中、謎の卵を発見しました。
スターウォーズの、
マスターヨーダが産まれてくる可能性もあります。
(今回の絵は下手くそ。自分らしくない絵である)

 

 
 
何か氣の効いたことを書かなければ“ならない”
と勝手に思っている私です。
 
 
こう言うケースの場合、
 
・他人からの反応が氣になり過ぎている
・他人からの評価が怖い
・書くからには読んだ人が
「為になる投稿」「面白いと思える投稿」
「いいねボタンを押してくれる投稿」
をしなければ”ならない”
 
と自分の中で妄想している状態です。
 
 
これは、
完璧主義やしなければならない思考に
陥っている最中なのです。
 
 
ではなぜ、
こういう思考状態になって
しまっているのでしょう。
 
 
その前に思考とはなんぞやを
ちゃんと観る必要があります。
 
 
思考とは、一人一人の頭の中にある
物事の捉え方です。
 
 
つまり、こういうことです。
 
 
畑に卵がある(=事実)
をみて
どう解釈するかは
人それぞれだと言うことです。
 
 

 
卵博士がこの卵をみた場合、
もしかしたらすぐに

「あ、これはティラノサウルスの卵!」
 
と思うかもしれません。
 
卵の大きさ、発見場所、
模様などから卵博士の知識データーベース
を元に

「これはティラノサウルスの卵である!」
 
と判断するわけです。
 
しかし、私は、
全くもって卵に関する知識がありません。
 

ゆえ、「謎の卵」としか
わからないのです。
 
 
山登りしていたり、ハイキングの時、

草花や生き物に詳しい人と一緒に登ると
楽しいですよね。
 
 
これは、あれでこうでこうこう
こうなっているのである。
 
と説明を聴きながら時間を過ごすと
 
自分の知らなかったことが
知れてとても嬉しい氣持ちになるからです。
 
 
それがデート中である場合、
二人の仲は蜜月関係となりゆくでしょう。
 
 
しかし、双方とも
謎の卵の正体がわからないケースの場合、
 
「これはなんの卵?」
 
「知らん」
 
で会話が途切れてしまいます。
 
これではなんのためのデートか
さっぱりです。
 
 
こんな時、役に立つのが、
 
 
『創造』
 
 
という伝家の宝刀です。
 
 
『これはなんの卵?』
 
「ん〜、マスターヨーダが産まれてくる
可能性もゼロではないよな」
 
 
『確かにそうよね、
それなら、ピカチュウが産まれてくる
可能性もゼロではないよね』
 
 
「そうだね、何が産まれてくるにしても
全てにおいて可能性があるね。
何も知らないっていいよね」
 
 
『ほんと、これが卵博士だったら
ティラノサウルスの卵に違いない!といって
私たちの意見に耳を傾けもしないわ。
 
何も知らないっていいよね』
 
 
と言う具合に
 
 
【知らないことは知らないことで
それで良いのである】
 
 
と捉えることもできます。
 
 
つまるところ、
 
“卵”=事実
 
という現実をみても、
 
人によって様々な解釈(思考)がされる
ということです。
 
 
冒頭の、
 
・完璧主義
・〜ねばならない主義(musturbation思考)
 
は、
 
私が創り出した思考の”歪み”に過ぎないのです。
 
 
感じていることに善悪の判断を入れず
 
「自分はこういうことを感じているなぁ」
 

受け入れ,
歪んでいるな、と思えば
修正すればいいし、しなくてもいいのです。 
 
 
私は歪んでいたので修正しました。
 
 
おかげでいい文章が書けたと
自分で自分を褒めています。

 
今夜もお付き合いくださり
ありがとうございました。
 
おやすみなさい。 
 
 
まなべ農園 真鍋和孝