今回は、本当に日記のような、自分の考えを
整理するために書いております。
読むことを特におすすめしません。
お時間ある際にどうぞ。とは、言いつつ
いつもお読みくださりありがとうございます 😉 

今回は、「書くこと」を辞めることについて
考えてみます。
文字にして表すというのは、
情報量としては少ないです。
例えば、愛について理解しようとするなら、
 

 
という文字を見るより、
 
愛する人と出会い、時間を共にした方が
 
愛とはこんな感じ
 
だというのがわかります。
 
こんな感じ
 
というのは、便利な言葉で
私が文字に表せないことも
こんな感じ
という言葉で表してくれます。
とはいえ、
 
こんな感じがどんな感じなのか
 
と聞かれれば
 
こんな感じはこんな感じ
 
である、という具合にしか答えられません。
 
今、こうして文字にしているのも
 
ただなんとなくにしか書いていません。

そうでした、今、なぜこんなことを
書こうと思ったのかというと、
 
このまなべ農園のHPには、たくさんの
文字が隠されているからです。
 
文字数にすれば、
 
たくさん、
 
あります。
 
でも、あるとはいえ、
 
それが、どこかの画用紙にまとめて
映し出されているわけではなく、
 
それぞれの記事の引き出しにしまいこまれている
 
という感じです。
 
いずれ、この記事も、
 
文字にして書くことを辞めるとどうなるのか
 
というタイトルで、
 
引き出しにしまいこまれていることでしょう。
 
きっと誰にの目にも触れられずに
埃を被ってしまう、という可能性もあります。
 
日の目が当たらないのは
辛いのです。
 
私は、よく、
 
ダークサイドという言葉を使います。
これはスターウォーズに影響を受けたものです。
 
善良なジェダイの騎士が
悪者へ寝返ってしまう、
 
のが衝撃だったからです。
 
とはいえ、自分自身を振り返って見ると、
 
ダークサイドな部分もあるなぁと
感心しております。
 
人間がどういう生物なのかといえば、
 
ダークサイドを隠しているか隠していないかは
別として、ダークサイドを含んでいる人間
だということです。
 
ここでいう、ダークサイド、というのは、
 
万引きしてやろう、
アスファルトをトンカチで割ってやろう
など、犯罪に手を染めるという類のものも
含まれますが、
 
ネガティヴな感情も含まれています。
 
辛い、しんどい、悲しい、もう嫌だ、
逃げたい、どこにも行きたくない、
死にたい、怠惰だ、この世は絶望だ、
 
という具合です。
 
昨今は、ポジティブ思考が善良である、
というノリが流れているように思ます。
 
例えば、しんどいことが起きても
それをプラスに捉え、

例えば、ひまわりの花が引っこ抜かれた
という時、落ち込んでいる際に、
 
「きっと、それは、何かしら
 意味があるんだよ!スタバ行こうぜ!」
 
という具合に、ポジティブに考えよう、
ということです。
 
でも、愛情持って育てていたひまわりの花が
引っこ抜かれて、
どうして、ポジティブに捉えられるでしょう。
 
私はひどく落ち込んで数日は闇の中をさまよいます。
 
闇の中をさまよっている時に、
無理やりポジティヴに捉えようとすると
ポジティブに捉えられていない自分を
さらに追い込むことになり
余計に、「ネガティブがダメな自分」を
追い込んではいないでしょうか。
 
悲しいことに、
 
世界は、自分がダークな部分にいようがいまいが
進んでゆきます。
 
ちょっと待ってよ、
は世間はきいてくれません。
 
私は今、
 
この文章を、なんともない、感情で書いています。
 
いつもでしたら、
 
ワクワクした氣持ち、
楽しいした氣持ち、
 
で書くのですが、
 
今は、未来に希望もなければ
期待もしていない、
 
スタバでカフェミストを飲みながら
書いています。
 
そもそも、書く必要がないことを
わざわざ書いているのではないか、
 
という氣さえ、しています。
 
こうやって書くことになんの意味があるのでしょう。
 
書くといってもパソコンでタイピングして
楽をしているではないか、
と突っ込みたくなります。
 
隣の人は本を読んでいます。
 
どんな本を読んでいるのか氣になる
ところです。
 
そういえば、昨日は、
 
言の葉の庭(監督:新海誠)
という映画をみました。
 
新宿御苑の屋根付きベンチ(東屋というのでしょうか)
で偶然出会った男女から始まるラブストーリーです。
 
こういうロマンチックな出会いというのは
どこかに落ちていないだろうか
と”憧れ”る自分がいます。
 
憧れ、というのを強調したのには、
理由があります。
 
“憧れ”というのは、自分の魂が抜けている言葉を
表すものです。
 
こうした感情に浸っているのは、
地に足がついていない、ということなのでしょう。
 
これを自分自身が観察しているのです。
 
隣の人が
 
うっかり、本を私の足の上に落としたり
 
ドリンクをこぼしたりして
 
話すきっかけをくれれば、いいな
 
とか憧れのシチュエーションに
 
脳みそを働かせています。
 
こういった、ことももしかしたら、
 
自分の中ではダークサイドな部分なのかもしれません。
 
アホらしいことを考えている
 
という具合です。
 
でも、私は、アホらしいことを
 
どうしても考えてしまうのです。
 
でも、アホらしいかアホらしくないかは
 
他人が判断することです。
 
基本、何事も他人が良し悪しを判断しているのです。
 
私は超真面目人間ですから、
 
例えば、
 
アスファルトをトンカチでかち割ったり
万引きで捕まったりすると、
 
周りからの評価は、
 
「真鍋が万引きするとは思っていなかった」
 
と、定型文なコメントをインタービューしている方
 
から聞き取れることです。
 
でも、その中に、
 
「人間ですから、真鍋も万引きしたい時も
あったのではないか?」
 
という人は少数派です。
 
なぜ、自分が万引きしたくなったのか
と聞かれれば、
 
食うものに困った
お金がなくなった
 
という具合です。
 
実際、万引きはしませんのでご安心ください。
 
ここで何が言いたいのかというと、
 
 
私が興味あるのは、
 
なぜ、その人がそういう行動をするのか?
 
ということです。
 
誰一人として、
 
同じ環境で育った人はいません。
 
それなのに、どうして人間は似たようになるのか
 
という疑問もありますし、
 
なぜ、この人はこういう行動をしているのか?
 
と知りたくなるのです。
 
ただ、知りたくなるというだけで、
 
例えば、
 
万引き犯に対して私が知りたいのは、

どうして、万引きをしたのか?
 
ということです。
 
万引きが悪いといえば確かに悪いのですが、
 
知りたい、という時の心情は、
 
全ての善悪判断を洗い流した上で
何にも縛られていない
空の中で
純粋にあなたにお尋ねしたい
 
という具合なのです。
 



 
という具合でここまで、2600文字です。
 
なぜすぐわかるかといえば、
 
私の書いているフォームには
文字数がすぐ表示されるようになっているからです。
 
この時点で2760文字となりました。
 
数字というのは、面白いですね。
 
1はどうしても1だし
2はどうしても2です。
 
決めている状態です。
 
決めているか決めていないか
 
という状態は、ふわふわしているということです。
 
これは、量子論という世界では、
実際観察されているところで、
 
観察者が見ている時と
見ていない時で粒子は状態が変わっているのです。
 
まぁなんとも不思議やと初めは思っていましたが、
 
よく考えれば、これは普段、
人間がよくやっていることです。
 
氣分もそうです。
 
私は先ほど、この文字をなんともない
感情で書いていると述べました。
 
多分それは、なんともない
状態で書いているからです。
 
例えば、これがカフェインを
摂取しまくれば、
 
ハイな氣分で文字を書くことができるでしょう。
 
他のものに頼るという具合です。
 
しかし、本当は、他のものに頼る必要は
 
ありません。
 
人からの連絡で
 
元氣になったり落ち込んだり
する時もあります。
 
お付き合いしていた方が
実は他に好きに男がいた、
というのも悲しい連絡です。
 
でも、それは、
 
結局、自分で決めているということです。
 
例えば、今、
 

「ないもの」や「ダークサイド」
に焦点を合わせ、この状態を決めること
とします。
 
隣の人がコーヒーをこぼしてくれない、
財布の中のお金が少ない
トイレに行きたいけれど、行っていない
メガネが自分に似合っていないのではないか
将来人生は真っ暗だ
何をやってもうまくいかない
首痛いし、
髭伸びるの早いし、
足寒いし、
人恋しい中二病を患っているし
どんどんデフレスパイラルの如し
氣分が落ち込んでいるし、
もう何もしたいくないし、
あぁ、ため息ばっかりだ
 
という具合で一つ一つダークサイドに
 
状況を合わせていくと、
 
本当にそうなって行きます。
 
これは、ゆらゆら揺れている状態から
 
その氣分になると決めたからです。
 
さて、今度は、あるもの、
ヒカリーサイドに焦点を当てて見ます。
 
先ほど、トイレに行きました。
おかげで氣分がスッキリしました。
トイレは、海外なら頻繁に行けないけれど
日本なら安心して行けます。
 
靴があります。
息を吸える酸素があります。
こうして文字にできるパソコンがあります。
文字を打てる手があります。
書いたことを伝えることができる
インターネットが通っています。
携帯電話で遠く離れた人とも連絡を
とることができます、
隣の人の本がなんなのか氣になる脳みそがあります。
視力が悪い私のためにメガネがあります。
カフェミストがあります。
ズボンがあったり、暖かい服があったり、
息をできる肺があったり、
血液を循環させる心臓があったり
食べ物を消化できる胃があったり
見えない菌ではあるけれど、腸内環境を整えて
くれている微生物がいるし
自分をイケメンたらしめてくれている
お肌があるし、それを支えてくれる常在菌がいるし、
ボールを投げることができる肩があるし、
連絡しあえる人間が地球にはいるし、
生きている自分がいるし、
なんと素敵な世界なんだろう、
 
とヒカリーサイドは教えてくれます。
 
とはいえ、今は少し眠いです。
 
夕方になろうかというこの時間、
 
そういえば、起きてからさつまいも2本しか
食べていないや
 
と思いました。
 
あぁ、なんか眠くなってきたな、
 
という具合です。
 
明日から1週間くらい東京へ行きます。
多分、文字をかける時間がない、
ので、自然と辞めることになるかもしれません。
 
とはいえ、1週間後に振り返った時、
 
以外に毎日文字かけてるじゃん、
本読む時間あるじゃん、
 
みたいな淡い希望を添えて。
 
とりあえず、今日は、
 
元氣のない記事です。
 
これはわざわざ公開することはないのでしょうが、
 
しかし、
 
私は弱い人間であるので
弱いということを公開して
 
強い人からの攻撃を逃れようと
していたり、
 
こうした、人間の弱さを理解してくれる
人と私は地球で生きたいと思っています。
 
 
あなたの思うような人には

なれなかったよ

あなたが思うよりずっと

変わろうとしていたんだよ

足りなかったのはそう

不安を吹き飛ばすほどの

僕の優しさか強さか

あなたへの想いか

それとも弱さを見せられる

勇氣かな
 
back number「風の強い日」

 
そういえば、今年の初めに、
 
出雲大社へ初詣へ行きました。
大変風の強い日でありました。
おかげさまでたくさん松ぼっくりが
落ちていましたので2つ持って帰りました。