この記事の要約

『私はこの世界が好きだ。

餡子も食べられるし、

こし餡もあればつぶあんのような人もいるこの世界が。

口どけのいい話ばかりでもないがそんな世界が好き。』

(これから5000字くらいあります。)
 
 

日本橋三越で開催されている

餡子フェア並びに、フリージャーナリストの

烏賀陽弘道氏が開催している写真展にも行って来た。

その感想である。

餡子フェア
 

daiki matsunaga 撮影

 

正式名称は、

「第73回全国銘菓展~恋ごころ、和菓子」

である。

私は恋と言う言葉には弱い

というか

妙に反応してしまうワードである。
 

野菜の品種名にも「恋」

が付いている野菜がある。

どうしても栽培したくなる。

そんな話はさておき、

今回の展示会でのメインイベントは主に二つ。

(私の中でのメインイベント)
 

一つは、

丸山珈琲さんの社長トークイベント

「コーヒーと和菓子の香りの世界」

を聞くこと。
 
 

もう一つは、

「銘店(全16種類)の餡子食べ比べ」

である。
 
 

ちなみに、

私の初めて就職した会社は和菓子屋で

販売員をしていた。

餡子フェチである。
 
 

「コーヒーと和菓子の香りの世界」

ペアリング。

コーヒーと和菓子と一緒に食すことで

お互いの味がより際立つような食事。
 

初めに断っておくが
 

美味しいものは

美味しい
 
 

というのが私の好きな世界観だ。

野菜を出荷する際、お客様には

野菜のことを知れる

野菜レターを同封している。

ただし、一言だけ注意書きを添えて。
 
 

「これを読んでも読まなくても

美味しい野菜です」

 
と。

つまり、

文字を超えて美味しさは感じる

もの

 
という世界観を持っている。

しかしだからと言って

こうした、言葉による説明が意味をなさない

ものとは思わない。

 
それは農家から

野菜にまつわる説明を知ることで

お客様の知らない世界を開拓できると

考えるからだ。

 
 
人間は自分の知らない味を

味わうことはできないと私は考える。

 

その知らない味を

言葉によってー

例えばコーヒーなら

フルーティーな香り

その中でもオレンジっぽいのかアップルっぽいのか

を知ることでより美味しく

食事の時間を楽しめる。
 
 

私は食いしん坊だ。

美味しいものを

より美味しく食べたい。

そんな快楽の塊の人間がまなべだ。
 
 

話の中でも触れられていたが

そもそも、

ペアリングする必要があるのか

という疑問。

 

なんのためにペアリングするのか。

私は野菜にはあまり味付けをしない。

面倒くさいというのもあるが(片付けを含む)

自分の農園の野菜を一番知るには

何も味をつけないで

食べるのがいいと思っている。

かぼちゃなんかは

蒸して終わり

だ。

蒸したかぼちゃは

それだけで完成した味とも言える。

では蒸したかぼちゃは

それ以上、

ポテンシャルが発揮されることなく

蒸し姿のママでいいのか

と言われればそうではない。

私は昨年、お客様から

「かぼちゃカレーにしたら超うまかった!」

と感想をいただいたので

自分でも試してみた。

案の定、超美味しかった。

カレーの辛味塩味と

かぼちゃの甘みがここまでマッチングベイベするとは

思っていなかった。

辛い中にあるオアシス的な存在を

感じたのである
 
 

カレーとかぼちゃが出会うことで

カレーも美味しくなるし

かぼちゃ自体も美味しくなる

と相互にレベルアップができる技

がかぼちゃカレーである。
 
 

ペアリングもそんなイメージで

捉えていただければ

と思う。
 
 

お互いがお互いを尊重し合あい

君もいいけれど、

わいもええやろ?

お互いがお互いを

褒め合うそんな世界がペアリングだ
 
 

恋の始まりですな。
 

お話を聞いていて

なるほどと思ったのが

コーヒーの温度と

和菓子との相性だ。
 
 

ぶっちゃけ、熱々のコーヒー

コーヒーに限らず、

熱々のものは味がよくわらない。

冷え冷えの水しかりで

極端なものは

味がよくわからない。
 
 

しかし、熱々には熱々の美味しさがあるし

冷え冷えには

胃腸への負担やゔぇと思いながらも

真夏に飲む麦茶は最高にうまい。
 
 

だから、

味わいには単純に白黒つけられない。

なんども繰り返しになるが

「あなたが美味しいと感じたものが

美味しい」

それは同時に

「私は私が感じる美味しさしか伝えられない」

ことも意味する。
 
 

だからこれから書くことも

あくまで参考材料で

一番大切にしている(していただきたい)のは

「自分自身のあなた自身の感性」

である。
 
 

一般的に和菓子は常温で保存されている。

出来立てほやほやを食べることは

少ない。

だから、

和菓子の味わう温度は

常温~やや低め

が一般的。

で、この時に和菓子ちゃんの

力を発揮させるのが

熱々すぎず冷めすぎずの

60度くらいのコーヒー君である。
 
 

コーヒー君

「和菓子ちゃん、今度デートしようよ。

人間の口の中に。」
 
 

和菓子ちゃん

『え、嫌やし。うちはうちで

美味しいからあなたと一緒に入りたくないわ。

私にあなたは必要ないのよ』
 
 

コーヒー君

「ちゃうねん。

今回はまじやねん。君の持っている

小豆の香りってあるやん?

それをわいの暖かさで引き立ててあげよう

とするのが今回のデートやねん。

君のポテンシャルを人間に味わってもらおうという

デートやねん。

わいはそのお手伝いをしたい。」
 
 

和菓子ちゃん

『しゃーなしやぞ(しょうがないの意)。

ただ、一つだけ約束して。

私の味わいを引き出してくれるのは

構わないけど、あなたはあなたでいてね。』
 
 

コーヒー君

「任しといて。

そのために60度くらいで君を迎えにきたんやで。」

人間

「なんやねん。このカップル。

レディファーストを徹底しておられる。

和菓子の香りが引き立っておる。

かといって、コーヒー君も

後味でコーヒー君の香りを残す。

君たちみたいな素敵なカップルに

私もなりたい。」
 
 

こんな感じだ。

講演後の質問コーナーで私は

「この逆パターンと言うのはあるのでしょうか?」

という質問をした。

つまり、

比較的蒸したて

出来立ての

どら焼きなりたい焼きなり

蒸し饅頭なりと

やや常温くらいに冷めたコーヒー

とのペアリングだ。
 
 

これに対し

丸山珈琲の社長さんは

「面白いですね!その可能性も

十分あります!」

とお答えいただいた。
 
 

美味しさへの快楽は

どこまでも私を

引き立ててくれそうだ。
 
 

勤めていた和菓子屋では

蒸して作る羊羹があった。

家食べるときは

蒸し直して食べていた。

これがまたうまい。

温めると小豆のいい香りが

ぷんぷん漂ってくるのだ。

常温のまま食べたのでは

味わえない

味が

食べる温度を変えることによって

味わえる

なんと楽しいことではないか!
 
 

 
 

自宅でもたまに餡子を炊く。

部屋中に立ち込める

小豆の匂いはたまらない。

小豆アロマだ。

小豆は古くから魔除け

的な効力があると言われていた。

赤色が邪氣を払うとも。

お寺に行けば

お線香の煙を浴びる人を見かける。

私は家であずきの湯氣をかぶる。
 
 

似たようなものだ

 
さて話は、餡子フェアに戻そう。

メインイベントの二つ目である

「16種類の餡子食べ比べ」

だ。

餡子好きにはたまらないイベント。

もちろん私は

全て食べ比べた。

こしあん部門と

つぶあん部門とがあり、

個人的に一番好きな餡子が見つけられた。
 
 

これは好みの問題で

どれが偉くて偉くないと言う問題ではない。
 
 

みんな違ってみんないい
 
 

最中とともに餡子を食べ比べるのだが

私は餡子だけを味わった。

あんこだけを食べるのが好きだからである。

後、最中に合う餡子とそうでない餡子

もある。

だから平等に餡子を評価するために

餡子だけを食べた。

そして最後は最中の皮だけが

残った。(当たり前の話)


最中に合う餡子は粘りのある餡子だ。

最中に入っている餡子は粘りがある。

最中の皮は乾燥している。

あの乾いた砂漠に、

パリッとした食感に、

ネバっとした正反対の餡子の相性がいい。

うまく表現できないが

茶色と水色との相性がいい

に似ている(?)と思う。
 
 

餡子は和菓子屋の経営理念が先にあって

存在するものだ。
 
 

なんのために餡子を練るのか。

最高ではなく

その菓子に適した最良のもの。

だからみんな違ってみんないい。

そんな美しき餡子の世界が

私は大好きである。

私の好きな餡子の味は

小豆の味がすることである。

砂糖で味付けをせず、
渋切り(小豆はそのまま煮ると

渋(あく)が出る。この渋をきることで上品な味わいに仕上がっていく。)

もせずThe煮小豆を食べれば

The

小豆の味がする。
 
 

この小豆の味が感じられる餡子が好き。

とある先輩社員は和菓子は好きではなかった。

「だって、砂糖の味しかしないじゃん」

本当にその通りだ(笑)

 

餡子はただ砂糖を食べるための媒体

ではない。
 
 

だから、私の中で

つぶあん部門の好きな餡子は

一番小豆の味が感じられる餡子になったし、

こしあんは、

ナンジャコリャ~

(しっかりしている、口溶け良い)と言う餡子

一番好きだ。
 
 

こうしてみてみると

改めて自分の好きな味がわかった。

自分の軸にある美味しいもの

から外れたら不味いと感じるのでは

食文化は発展していないと思う。
 
 

自分の好きな軸があって

そこに新しい味を追加していく。
 
 

僕はこの味が好き。

君はその味が好き。

それがいい。
 
 

恋の始まり。

にしても餡子の味わい表現リストの言葉は

すごく繊細に描かれていて

眺めているだけでも面白い。
 
 

餡子フェアの後は、

○烏賀陽弘道さんの写真展○

テーマは「東京人類図鑑」

街をゆく人々は、なんて美しいのだろう。

いつのころからか、そう思うようになりました。

こども、お父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、

そんな平凡で当たり前の人たちが、人生そのものを教えてくれる。

誰もが、かつては純真なこどもだった。

誰もが、いつかは年を取り老いていく。

誰もが、そのどこかの過程にいる。

そんな姿を忘れないよう、カメラで記録するようになりました。

シャッターを押す時はできるだけ「考えない」ことにしています。

写真から何を感じ、何を考えるかは、見る人に委ねることにしています。

2019年3月1日 東京・六本木にて 烏賀陽弘道

 
 

烏賀陽さんが在廊していると言うことで

ひな祭りの3月3日に足を運んだ。

4時間近く友達も含めずっと話していた。

烏賀陽さんの話は相変わらず面白い。

安全保障から始まり、取材の心得、

たくさんのことを話していただいた。
 
 

一瞬一瞬に現れる

人間の姿。
 
 

ありのままの姿とはこのことを言うのだろう。

烏賀陽さんはジャーナリストとしての

顔も持つ。

記者は取材対象に取材をする。

人にあう、現場に行く。

そこで聞いた話を記事にする。

しかし、残念ながら、

取材対象は、話す相手が

記者だとわかると

その顔をする。

テレビ番組だとわかると

テレビ用の顔になる。

そこが取材の難しいところ。

写真を撮る時もそうだと仰っていた。

カメラを向けられたら

人はカメラ用の仕草をすると。
 
 

だから今回の写真展では、

人間の本当の姿とは。

を見た氣がする。
 
 

その一瞬一瞬で切り取られる世界。

ジャーナリズムで大切にしている原則の中で

フェアネスという言葉がある。

完全な悪人はいないし

完全な善人はいない。

けれども、

私たちはどこかでそうしたレッテルを貼り

物事を見ている。

人間。

会社では部長の顔をしている人も

お家に帰ればお父さんかもしれない。
 
 

公園で一人座っている女性も

誰かの恋人かもしれない。

 

 


 

街を歩く2人が羨ましく見えるけれど

あの人達も

2人しか知らない問題と

2人も知らない問題を抱えながら

歩いてるんだ

 

私の好きな歌手のback numberの

「いつか忘れてしまっても」

という歌の好きな部分。

back numberさんは

失恋系の歌が多い。

嫉妬、後悔、恋心、欲望、願い、理想、寂しさ

をうまく描いてくれている。

和菓子展のテーマも

「恋ごころ」

だったからぴったりの歌手ではないかと思う。
 
 

恋をし、

老いて行く。

素敵。

写真展には

同氏の著書「飯舘村の四季」も置かれていた。

私も昨年飯舘村に足を運んだ。
 
 

そこには失われた

何十年何百年とかけて作られてきた

村の歴史があった。
 

原発事故は一生戻らない人々の日常を破壊した。

当たり前の暮らし。

当たり前の人生。。。。

みなさんにとって

大切にしたい当たり前の日常は何ですか?

最後まで
お読みいただきありがとうございました。

追記 烏賀陽さんに撮影していただいた写真

追記:
4月12日金曜日午後13時〜松本にて
食べ物系の映画上映会をします。
詳細は後ほど。
超おすすめなのでみなさんぜひ足を運んで
くださいませ。

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