【小学生の頃、気にしていたこと】
それは、血液型だ。


皆さんの中でもいらっしゃいますでしょうか?

◯型はこんな感じです
◯型と△型は相性いいですよ

とか。

今ではそれほど気にしていないけれど、
でも、全く気にしていないかといったら嘘になる。
本当に気にしていなかったらまずこんな本、
手に取らないであろうから。

「最強!血液型行動学入門。なんでこんなに当たるの?」
監修 G・ダビデ研究所 主婦の友社

この本の前書きに

“血液型性格判断は、占いではありません。
今年どんなことが起こるか言い当てるものではありません。
相手がどんなひとなのか自分はどんな性格なのか、人物像を知る手がかりです。相手のことをより良く理解するための道しるべなのです。”

と書かれてある
まぁ、要は話のネタで使うくらいなもんだ。
本書を10倍楽しむ法という項目に

“デートで話がはずまない時に本書を使う”

と書いてある。

でも、幼き頃の自分は
「自分てこういう性格なんだ。
だからそんな行動とるのだ」
「あの子の血液型はなに型だろう?
自分とは相性いいだろうか? 」

自分の性格判断を血液型に委ねていた。
プラスの方向にうまく利用できればよかっったのだけれど、
なんかもわもわした感じで、

“自分はこういうひとだからどうせあかんのや”

それは朝のニュースで今日の占いを信じるのと似ていたと思う。
「今日の獅子座はラッキーな日になるでしょう」

を聞いてうれしいことが起きると
「やっぱりな、占いでラッキーいよったし」

逆のパターンも然り。
1日のラッキー具合を自分ではないものに委ねていた。

自分の性格も同様に。
うまくいかないことがあると「どうせ自分なんて」
それを繰り返し繰り返していくうちに
得体の知れない
凝り固まった
謎のなにかが僕を繕っているように思う。

なにかをしようとするとき
人からの評価やちょっとした一言を思い出し
萎縮したりためらったりすることがある。

「あほちゃん」「何いよん(なに言ってるの?)」
「そんなことやらなくていい」
「どうせできんやろ」

今でもそう。何気ない一言が
なかなかのダメージをこころに与える。

そんなとき思い出すのは、、

「楽しいね」「面白いね」
「天才やん」
「やってみたら」
「いいんじゃない」「やろう」

と言葉をかけてくれた人々の笑顔だったりする。

背中を押してくれる存在は本当にありがたいとおもう。

ちなみにぼくはB型だった
半年前まで。
今はAB型だ。

自分で言ってるんじゃないです。
献血したとき
「まなべさん、検査の結果
B型じゃなくてAB型ですよ」

嘘やん笑

このかた20数年B型やと思ってたよ。

小学生の頃、気にしてなの意味ないやん。
あ、恋人との相性も(以下略)

ということで
輸血するとき血液型を知るくらいがちょうどいい
というおはなしでした。