田中優子(著)
江戸の恋ー「粋」と「艶気」に生きる,集英社新書(2002)

という本を読んだので
感想文を書く。
(自分でも何を書いているのか
分からなくなった、恋だからか?)
江戸の恋 

この本との出会いは偶然で
(まさに恋の始まり)
 

「どうぞ自由に持っていってください」
と後輩の部屋にあった本棚(正確には
ベッドの上に置かれていた)から
いただいたもの。
 
「恋」はいいものである。
一方、辛いこともあるので
苦しいこともある。
 
辛くなることを恐れては
恋はできない。
 
フラれることを恐れて
人を好きなることを
躊躇ってはいないか。
 
人生は「苦」
である。
 
ゆえ、「恋」も
「苦」ぶら下がっているので
基本、辛いのである。
 
好きな人が自分のことを
好いてくれるということは
滅多になくて、
 
思いは一方通行に流れている
のが世の基本である。
 
よって、
 
相思相愛というのは
滅多にない奇跡だから
両想いになれたら
万歳して喜ぼう。
 
なんてことは、本には書いていなくて、
 
自分が好きだった箇所は、
 
【恋文】がテーマになっている箇所である。
 
個人にー
あ、そういや、著者は、恋の始まりに際し、
言葉や物事の「こだわり(好き嫌い)」をはっきり
させよ、と述べている。

「癒し系」の「系」や、「私的には」の「的」や、
「〜みたいな」という言葉は、極力使うのはやめよう。
言いたいことをぼかして曖昧にさせる表現方法だからだ。
ものごとはできるだけはっきり言ったほうが、あなたの
居場所が人に伝わる。p53

 
恋文は好きでお付き合いした女性とは
恋文遊びをする。
 
ぼかしてはいけないと言われているのに
個人的に〜
とか、
〜みたいな
とか平氣で使う私。
 
私の中には、
 
はっきりした部分と
曖昧な部分とが
同居していて
人間としてねじれていると思っている。
 
愚か者かもしれないし
クズ人間かもしれない。
 
こんな人間はモテないよな。
 
自分で書いていて悲しくなってきた。。
いつもこうして、

自分で毒を吐いて
自分に降りかかって
それを回避できずに
自ら毒を浴びる、ことを
喜びとしている、
阿呆である。
 
とはいえ、著者は

恋はこのように、人間の矛盾や複雑さに気づく
機会になりうるのである。p50

とも述べている。
 
なんの話をしていたかというと
恋文の話で、
 
江戸時代(というか現代でも?)は、
ラブレターでどれだけ相手の心を惹きつける
ことができるのか、モテポイントの一つで
あった。
 
私も先ほど申し上げた通り、
手紙は書くのももらうのも好きで、
文章って本当に面白いと思う。
 
別れても手紙は思い出と
してとっておいて、
もちろん、新しい彼女には内緒さ。
 でも、この記事を読んだ人が僕の
 彼女だったら、どう思うだろう。
 「捨てろ」とか言われるのかな。
 僕は、一度、たくさんの恋文を捨ててしまって
 後悔している。あんなに愛に溢れた
 文章を別れたからと、やけくそになって
 捨ててしまったのは、恥である。
 なので、今は取り置くようにした。
 別にこれは、未練があるとかじゃなく、
 純粋に、思い出としてそこにあるのさ。
 だから僕は捨てないし、そもそも「捨てろ」
 とかいう女の子とは付き合っていないから
 何も心配はいらない
 
ノスタルジーな時に
読み返して、しみじみする。
 
最近適当に、読み返してたら、
 
声を出して笑ったよ
 
とか書いてあった。そんなに
面白いことを書いてあったのか?
自分は何を書いたか覚えていないのに。
 
おっと、思い出の深掘りをするところで
あった。
 
恋文について話を戻そう。
いや、別に逸れてはいない。
 
文章というのは、人柄というか
色々なものを感じ取れる
いわば、裸丸出し状態である。
 
よって、やっぱり、
 
手紙というのはいいもんだ。
LINEは嫌い。
長文は好き。
でも、氣分が優れない時は嫌い。
 
手紙を書くのは結局、
時間と手間がかかるので、
 
結局のところ、
恋人にどれだけの思いを
馳せるているのか、
いい指標になると思う。
 
 
ー以上
 
 
 君を一体何に例えたら
 この愛は伝わるだろうか
 こんな出だしの手紙では
 気持ち悪がられるよな
 
ハイスクールガール-back number-