本棚にあった「下流志向」を読み直した。
昔にも一回読んだことがあったが、
せっかくなのでもう一度読み返してみようと
思い読んだ。
 
高校生の現代文で印象に残っているのは
内田樹さんの文章である。
具体的な話を思い出せと言われても
思い出せないが、高校卒業したら
試験に出るとか出ないとかではなく、
純粋に内田樹さんの本が読みたい、と思って、
 
何冊か読んだ。
柔らかい口調で言ってるわりに
本質をついてるところが好き。
 
この本も久々に読み返して
こんなこと書いていたんや。
という新しい発見もあり
読書は楽しいことを改めて感じた。
 
 

 
印象に残ったのは、
 
子どもたちが就学以前に
消費主体としてすでに自己を
確立している、
 
という点である。
 
簡単に説明する。
 
私たちは、幼き頃から「貨幣」
を使って買い物をすることに
慣れている。
お使いにせよ、友達と遊びながら
コンビニでおやつを買ったり
カードゲームを買ったりして。
 
ジュース一本(喉を潤す)

150円を交換する。
 
つまり、お金を払うということは
 
「これだけ払うんだけど
 それに対して何をくれるの」
 
という等価交換をしている。
 
そしてこのような考えが
本来持ち込まれるべきでない
教育の現場にも
 
「これだけ払うんだけど
 それに対して何をくれるの」
 
持ち込まれていることを危惧している。
(この辺の話は本書を参照のこと)
 
 
つまるところ、
 
幼いうちから 
自らを「消費主体」とする生き方を
デフォルトとするのである。
 

消費主体として幼き頃から
育った子供は(というか、ほぼ全員そうだと思う)
大人になっても「消費主体」な生き方を
主とする。
 
消費主体は、
 
自分の目の前に出てきたものを
(モノであれ、サービスであれ、ヒトであれ)
「商品」として捉えることである。
 
自分は常に「買い手」である、
という態度をとる。
 
「買い手」の態度とは、
みなさんが何かモノを買うときの態度
を思い出してもらえれば一瞬で理解できる。
 
お腹が減ってあんぱんを買うとき、
 
・あんぱんを買えばお腹を満たせる
・あんぱんを買えばモテる
 
などその商品の価値を熟知しているかのように
振る舞う、ということ。
 
当たり前ですが、その価値を100%熟知して
スペックなどを100%熟知して
商品を買うことはできない。
ポイントは、
 
あたかも熟知しているかのように
振る舞うという点にある。
 
あんぱんの種類がたくさんあったとしても、瞬時に
AあんぱんCあんぱんの違いを知っていて、
Aあんぱんを買ったほうが
自分にとって価値があると
判断する能力である。
 
その価値がないものは購入しない。
 
つまり、「買う」行為は
その価値を知っているから
生まれる。
 
さらにいえば、消費主体にとって
 
商品の価値がないと判断したものは
存在していないことと同義である。
 
 
だから、商品を売るとき、
パッケージにいろんな文言をいれて
「このあんぱんを買えば
 あなたにとってこんな価値がありますよ」
とアピールする必要がある。
 
 
だから
  
消費主体↔︎商品
 
この関係性で世の中を見てしまう志向の癖
を軸とした
生き方をするのである。
 
↔︎が意味するのは等価交換。
 
何回もいうけれど、
 
消費主体は、
「価値や有用性」が理解できない商品には
当然「買う価値がない」と
判断する。
 

 
これで西野カナさんの
「トリセツ」という歌を思い出したのである。
 
下記、西野カナ公式YouTubeより「トリセツ」の
説明。

この曲は、男性になかなか理解してもらえない女性の内面、乙女心を「取り扱い説明書」になぞらえて描いたキュートでコミカルなラブソングです♪普段、なかなか言えない本心を、あえてストレートに表現することで、一見ワガママにも思える女性の気持ちを、『好きなアナタへのラブコール』として、愛しく受け取ってもらいたいという気持ちを込めた、西野カナならではのユニークな歌詞になっています。

 
歌詞も一部引用しておきます。

この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう
ご使用の前にこの取扱説明書をよく読んで
ずっと正しく優しく扱ってね
一点物につき返品交換は受け付けません ご了承ください

 
この強烈な歌詞。
 
自らを「商品」として
「消費主体」である男性へ向けて言葉を
送っている。
 
キモチワルクテ、私は、
この歌を正直好きではない。
 
しかし、 
日本レコード大賞 優秀作品賞に選ばれた
曲もあるので、多くの共感を得たのだろう。
 
これは考察に値する。

日本人の若者が恋人を
「商品」として捉え、
自らを「消費主体」
として振る舞う姿に興味がわく。
 
合コンや街コン、
お見合いアプリなどを見ると
 
「年収〇〇円」
「正社員」「公務員」
「大卒」「大手企業」
 
というラベルを自分に貼り付けて
売りに出している。
 
ここで重要なのは、
 
自分自身は、「消費主体」で
あると同時に「商品」でもある
という点にある。
 
消費主体目線ならば、
 
なるべく高スペックで
安上がりで効率が良い
モノを選ぼうとする。
 
自分を商品として売り出す時は、
 
購入した暁にはこんないいことが
ありますよ、
もしよければ値段もお安くしますよ
 
という態度をとる。
 
 
このように、
 
恋人をゲットしたときの心境は、
 
半額セールでモノを買った時の
心境と同じである。
 
値段も安くする態度は、
 
この度はこんな私を選んでくれてどうもありがとう
 
の言葉に現れている。
 
トリセツに限らず、恋愛ソングにはよく、
 
こんな私〜
選んでくれて〜
 
という文言を見つけることができる。
 
ふと思い出したのだが、
以前お付き合いしていた女性が
僕にこんな言葉をかけた。
 
「私はあなたが嫌いな
 大量生産型女子(以下略)…」
 
大量生産型女子というものすごいワードを
発したことに驚きを隠せなかった。
 
当時は、大量生産型女子ってなんやねん笑
 
と笑っていたが、今となっては思い出の
一欠片である。
 
話を戻そう。
 
どこにでもあるこんな自分を
世の中でたった一つしかないようなあなたが
選んでくれるなんて信じられない、
そこには、
 
しあわせという感情を味わうより、
 
不安で怯える日々を感じやすいのではなかろうか。
 
取り扱い説明書を渡して自分のスペックを
熟知させた氣になったとしても、
いつポイ捨てされるのかわからない日々。
欠陥を見つけられてしまったら
どうしよう。
 
こんな生活がしあわせなはずない。
 
 



 
商品のスペックは、
買った時点から進化しない。
256GBの容量の携帯電話が
512GBに増えたりすることはない。
 
しあわせな結婚がしあわせでなくなる
のは、
 
256GBに満足しなくなって
買い換えたいけれど、
結婚してしまったので買い換えれない、
というストレスから生まれる。
 
しかし、そもそもの間違いは、
 
生物である人間を
「あなたは256GBだから
 素晴らしい!」と勘違いしていることから
始まっている。
 
生物である以上、
変化するし、常に生まれ変わる。
そしてそれは、
1年後どんな姿になっているのか
10年後どんな姿になっているのか
予想できない。

なので
 
この人と結婚すればお買い得
 
というような恋愛はやめにしたい。
 
印象に残った言葉を引用して
この投稿を終わりたい。

ほんとうの「多文化共生」というのは、
一人の人の中に、複数の価値観や複数の言語や
複数の美意識が混在していて、それがゆるやかに
統合されている状態を達成することを通じてしか
実現できないと僕は思っているんです。(p265より引用)

 

おしまい。

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