せっかくの季節なので、桜に関する本を読んでみた。
「本当に〜か?」という問いは私の頭の中にある
固定観念を鮭フレークのようにほぐしてくれる。
そういえば最近鮭フレークを食べていない。
鮭フレークは桜色をしているので
この季節にぴったりの食べ物と言えよう。
 

 

 
 

「本当に鮭フレークは美味しいのか」
 
と問いを立てるのと同じことで、
一回、自分が美味しいと思っているものや
美しいと思っているものを疑ってみる、
のはとても楽しい知的好奇心満たし遊びである。
 
ただ、美しいや美味しい、
という美的感覚は最終的には
 
「個人がそう思うんじゃったらそう思うんじゃけん、
 他の人がどうこう言おうが関係ないんじゃない?
 ”うつくしいものを美しいと思える
 あなたのこころがうつくしい”みつを
 が全てなんじゃから自分が美しいと思ったものが
 全てで美味しいと思ったものが全てやん」
 
という意見もあって良い。
究極それじゃと思う。
 
けれど、
自分が思っている美しさや美味しさが
本当に自分が感じているものなのか?
 
一体、なぜ自分がこれを美味しいと感じたり
美しいと感じるのだろう、
と考えることは、
価値観の源泉を掘るような
もので、もしかすると、
他所の源泉から湧き出てきた美意識を
自分のものとして取り入れてしまっている
可能性を常に考慮しなければならない
 
 
つまり、
自分の思っている美しいや美味しいが
誰かによって操られている可能性を
常に考えておかねば、いつか本当に
支配されてしまう。もしかしたら私は
もうすでに支配されてしまっている可能性を
加味しながら。
 
前置きが長くなってしまった。
著者は水原紫苑(みずはらしおん)さん
という方で歌人である。
 
私は、5・7・5や5・7・5・7・7
で自分の氣持ちを表現するのは本当に
かっこいいいと思っている。
 
自分には到底できない。
私はどちらかというと、いっぱい喋って
具体的のさらに具体的に表現したい欲がある。
実際できているかどうかは別として。
 
さて、この本では、
万葉集から始まり現近代短歌、桜ソングまで
を紹介しながら当時の人たちが「桜」をどのように
捉えているのかを解説してくれている。
 
私は、古文が苦手で
読むのに四苦八苦した。途中で能の話も
出てきたのでさらに苦労した。
 
だから、
自分の都合のいい部分(読みやすかった)だけを
取り出して感想を述べたい。
 
まず揺るぎない桜事実は、
もともと、野山に咲いている花にすぎなかった
ということだ。
 

野生でいたものを人間界に招いて
桜を日常的に楽しめるようにした。
これは揺るぎない事実であった。
 
野菜に関してもそうで、今の野菜は
野生で暮らしていたものを人間が
栽培しやすいように改良を重ねてきた
結果である。
 
桜もそんなノリである、と私は思う。
 
桜は、もともと、
眺める以前に、祈りの花であった。
 
”櫻の花は農事の前兆と考へられ、
人間生活のさきぶれだとも
思はれてゐたのだ。
だから、櫻の花の咲きかた・散りかたで、
村の生活・人及び田畠の一年間を感得した”p18
 
 
 
うん。これはすごく頷ける話だ。
昨年、畑を耕していたら
近所のおばあちゃんが
 
「今年(2019)は野山の藤の花が綺麗に咲いとるけん、
天候はよくない一年になるかもね〜。昔からそうやって
言われとるけんね。」
 
と話してくれた。
 
確かに藤の花が
綺麗に咲いていたのは良くわかったが
  

「え〜、
 それで本当に一年の天候予想できるんかいな、
 しかも良くないって、不吉すぎるww」
 
 
と半信半疑であった。
 

 
ところがどっこい、2019年は
6月7月になっても寒い日が続き、
(ただ実際のデータを確認すると
長野 

  5月 6月 7月
2019年 17.4 20.0 24.0
平均気温 16.0 20.1 23.8

 であまり大差ない。
平均は、1981-2010)
 
作物の成長が遅れた。
さらに秋には台風がやってきて
千曲川が氾濫したことは記憶に新しい。
 
私はこの経験から
野山の花の咲き方は、
その年の天候を占う
可能性を大いに秘めていると
思うようになった
 
他にも、カマキリの卵の産み付け高さと
その年の雪の積雪量とが

関係あるように、
植物や虫は、なぜだかわからないけれど
予測能力がある。
不思議な話。
 
ちなみに、2019-2020の冬は
暖冬であった。
雪も少なく、すぐとけたりして
あまり積もらなかった。
カマキリの卵は地上数
17センチのところに
産み付けてあった。

 
さて、そんな中、
 
最古の桜の歌は
日陰の負性を帯びた恋物語の
文脈で用いられていた。
 
花ぐはし桜の愛で同愛でば早くは愛でず我が愛でずる子ら
(花が細やかで美し桜よ、愛するならもっと早く
愛するのだった、いとおしいひとよ)
 
詳しい解説は、p22〜を参照のこと。
 
 
万葉集の歌の中でも男性が女性に
送った歌(現代で言えばラヴレター)に
対する返事が面白い。
 
男→女

この花の一枝のうちに百種の言ぞ隠れるおぼろかにすな
(この花の花びらひとつにも、私のたくさんの言葉が
こめられているのだ、おそろかに思うなよ)

 
これに対して、女は、
 
この花の一枝のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
(この花の花びらは、あなたのたくさんの言葉の重みに
折れてしまったのではありませんか)
 
と歌った。
 
振られたわけだ。
どんまい。
 
私の好きな歌手の一人が(わざわざ言うまでもないが
短歌の歌手ではなく、シンガーソングライター
と言う意味。)
「back number」である。
back numberは、恋愛ソングを得意としている。
 
ラブレターに関する歌も歌っていて、
君を一体何に例えたら
この愛は伝わるだろうか
こんな出だしでの手紙では
気持ち悪がられるよな
 
なんとか君の気を引ければと
色々考えてんだ
けどくだらない事しか
思いつかないのさ
 
「ハイスクールガール」
万葉集時代は、
桜の美しさを好きな人に例えて
おしゃれな歌を作って
思いを伝えて、フられている。
 
しかし、ハイスクールガールの
主人公は、手紙を送ろうかどうか
悩むに悩んで渡せずにいる、
そんな姿を描いている。
 
万葉集時代の人間が、
 
君を一体何に例えたら
この愛は伝わるだろうか
 
と尋ねられたら、
櫻に例へよ!!
と答えてくれるし、
 
こんな出だしでの手紙では
気持ち悪がられるよな
 
 
いや、そんな事ないぞ!と
言いたいが、実際わしも、
氣持ち悪がられて
軽くいなされたわ(笑)
 
と返答してくれる。
 
振られるのを恐れて
ラブレターを送らないの
 
振られるかどうかは知らないけれど
ラブレターを送ってみる
 
この両者の行動には大きな
違いがあることは言うまでもないが。
 
 
このように桜は読まれる対象と
なっていった。
 
その後、古今集(勅撰和歌集、
天皇や上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集)
でいよいよ、桜文化体制が始まる。
 

季節の運行から、喜怒哀楽のすべてを、
帝が歌を通して司ることが、
明白に記されている。
この美意識は、千年の余も日本の
人々を縛り、現在までじゅうぶんに有効である。
その核心に桜があるのだ。p48
 
この辺りの流れについての詳しい
解説は本を当たって欲しい。
 

日本人がどのように桜を捉えていったのか、
その流れを
さらっと書いておく。

  • 桜はもともと野山にぽつんと咲いていた
  • 花の咲きかたで農事の吉凶を占う呪的な花
  • 眺める対象ではなく畏敬の念として
  • 満開の桜は吉兆として散る桜は心を騒がす

    万葉集時代。
    古今集時代以降

  • 散る桜に美を見出し始める
    (ゆくゆくは、戦時中の散りゆく姿はお国のため
     美しい特攻精神を構築してゆく。軍歌などにも
     桜は登場。例えば、「同期の桜」)
  • 貴族社会の生死の哲学を背負ってまう存在
  • 和泉式部は梅の方が好き

    新古今集時代

  • 実在の桜より不在の桜が好んで詠まれ、
    また、恋の記憶や予兆と複雑に配合された
  • 西行は、ポツリ系の桜が好き

本居宣長
 
敷嶌のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花
↓ 
特攻隊
「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」
の名前がつけられた。
 
 
第18章近現代の桜の短歌
 
からは、歌の現代語訳がなくなったので
私はわけがわからなくなった(笑)
 
これは私の無知ゆえ。
 
著者はここから「共同体」
という言葉をよく使うようになる。
もう少しこの言葉に対して説明が欲しいところ。
 
2000年代に氾濫する
桜ソングに対しての説明は面白い。

これらの桜ソングを聴くと、発音が英語に近いのか、従来の
日本語から少し離れた印象なのに対して、歌詞の多くが王朝和歌
を思われるのが、面白く、不思議である。そして、どれも、
極めて優しい個人と個人の関係をうたっている
(中略)
現代の桜ソングにおいては、歌詞と音楽とが一体となって、
あるイメージやメッセージを手渡すことが重視されている
ようである。そこに桜が介在する。p253~254

 

確かにこれはとてもわかる。
一番初めの方に紹介した私の好きな
「back number」も桜を使う曲を
持っている。

桜の花が舞い落ちるこの景色を

いつか僕たちは並んで見ていた

今ではそのほとんどが 

嘘になってしまった言葉を

心から伝え合いながら
 
ー『はなびら』ー

 
公園の角の桜の木が
 
綺麗だねって
 
あなたに言いたくなる
 
ああそうか 
 
もう会えないんだった
 
ー『風の強い日』ー
 
 
  
 
この曲を聞いて、個人個人が
忘れられない恋愛を思い出すのは
人間としてとても愛おしい行為である。
 
恋は、ずっと昔から桜ソング(短歌も含め)
とともにあるのかもしれない。
 
 
最後に私の桜に対しての感想を
述べたい。
 
私はどちらかと言うと
西行タイプで山でひっそりと
咲いている桜が好きである。
 
別にわざわざ、山奥まで
歩いていく必要はないけれど、
 
花見の名所と呼ばれる場所は嫌いだ。
桜が嫌いな訳ではなく、
ごみごみした人混み、
アルコールでばか騒ぎする
うるさい人たちが嫌い。
 
場所は、どこでもいいから
ひっそりと誰もいない桜の木
の元でたい焼きとかを
食べられればいいと思う。
 

 
 
おしまい。